Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

自作アート

金葉展への新作出品

教員OBの仲間の会による金葉展(21~22日)、会場は市民プラザに出品しています。毎年、この機会を前向きに捉え、新作を出品するように努めています。 9月21日のワークショップに使用したルネ・マグリットの絵画から飛び出させた「PAYSAGE」のフレームを使…

問題人=問大臣シリーズ

最近、自民党がほころびを見せてきています。松島みどり法務大臣の選挙違反問題、小渕優子経済産業大臣の政治資金問題などをモチーフにモンタージュしてみました。 問題になっている松島キャラクターの団扇を団扇らしく見せるのに柄をつけるのに少し苦労しま…

大地の芸術祭(最終確認)

今日は本当に蒸し暑い。さて、Blue Sky Project の案内状とチラシなどを送る事務が一部を残して終了。これから5日間で作品が送られてくる。その作品を28日頃にチェックし、1日の展示の日を迎えるというスケジュールです。 大地の芸術祭の作品「Sky Cacher 09…

身辺雑記(7月12日)

今日の朝の5時半頃である。鳥達とのふれあいといっても、今くるのは雀だけ。「我と来て遊べや親のない雀」の句を思い出しました。7羽来た所を撮影することが出来ました。これを使って、10月の展覧会のコンセプト写真を作ることにしました。 10月にある「弥彦…

信濃川へ(7月7日)

私の石を送るメールアート「The Shinano River Plan-11」から今年で40年である。そのことを記念する作品をアメリカと日本の美術館など幾つか送ることにした。50周年に自分が生きていると言う保証はない。送る日は、アポロ11号が人類初めて月に降り立った日で…

お馬出しプロジェクトへ(7月4日)

「お馬出しの辻」の通りでの七夕縁日に行ってきました。100mくらいの辻で歩行者天国が実施され、昔遊び(竹馬、お手玉、コマ、ベーゴマ、おはじき、竹とんぼ、あやとり)、将棋コーナー、紙芝居、花火、茶席,フォークソング、その他手作り小物、アンティー…

身辺雑記(7月2日)

一昨日「あいだ」161号がとどいた。表紙は私の撮った写真が”掲載されています。 「あいだ」ハードな美術論議を展開しているミニコミです。希望者は申し込んでください。 表紙に使われたカラー版は以前のページを見てください。 http://d.hatena.ne.jp/niigat…

上越市環境フェア2009の日

今日は晴天。朝取りのキュウリ。これで5本目である。言うまでもなくその味は抜群。 カサブランカ系のユリの花が最盛期。その匂いが庭に充満し、良い気分です。 数日前から、小鳥のステーションを設置。自然に反して沢山与えすぎないように、ひとつまみの餌を…

1974年4月以降

NYの砂入博史さんのプロジェクトを実施し、そのプロセスをブログにアップしたら、それを砂入さんが自身のブログで紹介。電脳世界の素晴らしさである。 http://treeproject.blogspot.com/2009/06/joetsu-city-niigata-prefecture-japan.html さて、今日の過去…

環境フェア09

今日は28日の「環境フェア」の打ち合わせの会議が会った。今年はブース名を「エコでアート」として参加する。 ワークショップとしての参加です。2005年にBlue Sky Projectの構想が立ち上がり、そこから様々な表現が生成。Blue Sky折鶴もその一つ。そして平和…

身の周りの世界-4

今日は身の周りの世界から想いを広げます。最初の写真はスコットランドから来ていたALTのジリアンさんからいただいたアザミの花。6年前に種子をいただいて自宅前庭に播いて定着したもの。毎年今の時期に咲いてくれる。 さて、07年にカッセルのドクメンタに行…

身の周りの世界-3

今日の8時頃南西に半月が見えた。先日のにわか天文学習から新鮮に見えて嬉しかった。毎日色々と過去,現在、未来また自宅、近所、近隣、遠方の世界と関わりながら生きている。本日は自宅内でのスナップ4題。コメントは後で付け足します。 3度目の登場のキュ…

身の周りの世界

隣の町内にある栄樹寺の地蔵堂である。歩いて2〜3分の所である。この地蔵様には南本町2の神社に初詣でする時だけお参りしてきた。しかし、昨年7月にすぐ近くにスーパーマーケットができて、その横を頻繁に行き交うようになり、ティテールなどをよく見るよう…

初めての個展-2

後ろの壁面の作品は、浅間山荘事件や日中国交回復などを報道した新聞に自分の顔をシルクでプリントしたもの。情報の借用、再確認を意図していた。このような制作の基本的態度は今も変わっていない。右の作品は1969年制作の錯視を利用した作品。 左にあるのは…

初めての個展-1(1972年11月)

1972年は激動の年でした。主立った事件を記す。1月-横井庄一さん、グアム島で保護。2月-冬季オリンピック札幌大会。ニクソン大統領中国訪問。連合赤軍「浅間山荘事件」。3月-連合赤軍リンチ殺人事件発覚。4月-川端康成ガス自殺。5月-沖縄施政権返還。沖縄県…

1973年以降(教育への傾注)

1971年3月の「言葉とイメージ」展以降の田中角栄首相の零円切手や「写真ハガキ」シリーズのことも語り終わった。1972年秋の個展のことは近日中に掲載する。さて、私はこの年の4月から2年ぶりに学級担任を任され、否が応でも本業の「教育実践」に傾注せざるを…

「雪のイメージを変えるイベント」作品集完成(宣伝)

1970年の2月に行われ、全国・世界に発信された「雪のイメージを変えるイベント」作品集がようやく完成し、頒布を開始しました。今日の最高の技術による顔料印刷(ジークレー)で特製ケース入、解説カタログ付きで30部限定。価格は20万円です。「行為の芸術」…

「言葉とイメージ」展-1971年3月

昨日、気になった作品を数枚掲載すると書いたが、本人に許可も得ていないので私と前山さんと現在も交流のある鈴木慶則さん、竹田潔さんのみとする。 機関誌のガリ版の原紙と零円切手の金属版の実物を展示。零円切手と機関紙を置いて希望者に配布。機関紙はそ…

1970年12月以降-10

4月30日のブログから、1970年〜72年を彷徨いながら整理してきた。この期間に踏み込んだ世界、出会った世界、切り開いた世界が今につながっている。この期間に見た、感じた、考えた、表したなどの世界に今の原点がある。誰かの著作を読んで悟ったという話しで…

1970年10月〜12月

昨日の最後にメールアートの「自家中毒」という言葉を書いた。メールアートという限界のある表現制度の中であれこれと模索して、不足料金を相手側に支払わさせてしまうことを作品にしようとしたわけである。当時の自分自身の中の発想の閉塞感を示す作品であ…

1970年の5月〜6月(追加)

私の「石を送るメールアート」を運んでくれた中ノ俣簡易郵便局長の小林武雄さん。一度に沢山の作品を発送しないように配慮。 この石の荷札の日付は5月30日なので、京都市美術館へ送ったもの。 6月に入って東京から送り返されてきた「石」。アートではなく本…

1970年8月15日

第10回日本国際美術展「人間と物質」の東京展にはアポロ13号の打ち上げに対応して13個の石を郵送した。会期が終わって石が送り返されてきた。ちなみに5個くらい会期中に盗まれたりした。一個は記念に実家に保管したが他は針金の縛りをほどいて元の中ノ俣川に…

1970年9月23日

9月23日。職員旅行で立ち寄った群馬、長野にまたがる白根山の山頂にある大きな岩から飛び降りた。同僚のUさんが撮影してくれた。4mくらいの高さから飛び降りた。下手をすれば怪我をしたかもしれない。若かったからできたのである。この時、イヴ・クラインの…

1970年7月二題+本日のStamps

1970年5月の第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」は名古屋、京都、福岡と巡回した。その都度石を送るという対応をしたので、その行為が形式的になり少し疲労感が残った。東京以外は見に行くことも出来なかった。第一にお金がなかった。8月の京都での「ニル…

1970年12月以降-5

当時、何名かに送っていた「絵はがきシリーズ」を道標に、過去を徘徊して語っている。1971年8月13日に十日町市中条の最初の石を拾った河原へ行った。当時、堤防からすぐに河原に下りることが出来た。 なぜ中条に行ったのか。河原に行くことの他にも目的があ…

GW雑記 と1970.12月以降-4

昨日はGWの家族付き合いで隣の長野県の野沢温泉へドライブ。お風呂に入ってきただけなのだが、途中飯山の「菜の花祭り」が圧巻。桜と違う黄色、菜の花色の幸せな感じが人々を魅了し、沢山の人ででした。 野沢温泉のことは別の機会に書きたいです。23年前から…

1970年12月以降-3

1970年に福岡の伝習館高校での3人の教師に偏向教育を行ったとして、懲戒免職処分が下された。この処分に異議を申し立てる裁判闘争に関わって全国に支援の動きが広がった。私も、教師の立場から強く心を動かされ、支援組織として新潟•伝習館裁判闘争を支援す…

1970年12月以降-2

好天に恵まれて、気持ちもよいゴールデンウィークである。今日は憲法記念日である。その憲法と関連づけて、古い写真から今日的意味を見付けてほしい。38年前の小西反軍闘争デモの写真である。写真アルバムのメモでは1971年7月5日とある。デモ自体には加わら…

1971年10月

1971年に入った。3月のピナール画廊での「言葉とイメージ」展で新作「零円切手」とGUN全国郵送戦線の機関誌と「石を送るメールアート」を出品したが、「石を送るメールアート」が朝日新聞の社会面の全国版に取り上げられた。新作に注目が集まらず、石の作品…

1971年の冬

このブログの写真アルバムについて容量無制限とあるのに制限がでてきています。今までの写真を削除しなければいけなくなるので、写真の挿入をしばらく休みます。 さて、1971年に入って内省の時が訪れてきます。高度の僻地校勤務で、食事は宿舎で寝泊まりは集…