Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

画廊巡り

急に誘われて、見附-長岡-上越と6カ所の画廊等を舟見倹二、舟見里留、古田洋司の各位と自家用車で巡ってきた。このごろ県内各地で作品展が多く、義理と人情で回るだけでも大変である。今回は展示の内容から見て長岡の二人展のみ掲載させていただく。
私の主な関心はタイトルの「隠喩」のこと。隠喩の問題は表現のコンセプトとして極めて重要である。隠喩は表現を組み立てる為の言葉の用法である。それが作品を受け止める鑑賞の方程式にもなる。隠喩とは言えない直喩の作品もあり、混濁してしまう面もあったが、両氏ともそれなりの実力作家で相応の見応えはあったのは当然。古田さんが猪爪さん蝉をモチーフにした大画面についてモチーフの意味を問うていた。その視点は私も同感であったが2階の喫茶店に展示されていた同じ蝉をモチーフにした銅版画の場合は何らの問題点は見いだせない。蝉のイメージが黒一色に抽象化され背後へと誘う蝉の言葉を紡ぎだしていた。大きな画面に蝉だけが描かれているのは要素が多く、版画とは全く異質で解決すべき課題が沢山残っていたように思われたのである。星野さんのことは別の機会にコメントしたい。


星野さん、画廊主の松本泰典さん、古田さん、猪爪さん。


絵を見ているのは舟見さん。

沙蔵の入口に咲いていた桜。

帰り道の長岡インターから少し柏崎方面に走った所でのスナップ。夢があり、爽やかなデザインである。