Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

季節の話題(5/31)

29日は前山さんと共に、GUNの「雪のイメージを変えるイベント」作品集を売り込みに新潟と長岡を回ってきた。県内では5点くらい売りたいと念じています。今の段階で、2点の予約をいただいています。いずれにしても、売り込みには最善を尽くしたいです。 さて…

色の記憶・記憶の色-3(糸魚川白山神社・春季大祭の舞楽・陵王)

4月25日掲載のページの写真を容量の関係でカットしていました。修復してここに掲載し直します。季節は巡り、今はまさに新緑の季節。ソメイヨシノは葉桜となり八重桜の満開。我が家の庭も沢山の花が開いています。花を愛でることは言うまでもなく万人共通の感…

「雪のイメージを変えるイベント」作品集完成(宣伝)

1970年の2月に行われ、全国・世界に発信された「雪のイメージを変えるイベント」作品集がようやく完成し、頒布を開始しました。今日の最高の技術による顔料印刷(ジークレー)で特製ケース入、解説カタログ付きで30部限定。価格は20万円です。「行為の芸術」…

「言葉とイメージ」展-1971年3月

昨日、気になった作品を数枚掲載すると書いたが、本人に許可も得ていないので私と前山さんと現在も交流のある鈴木慶則さん、竹田潔さんのみとする。 機関誌のガリ版の原紙と零円切手の金属版の実物を展示。零円切手と機関紙を置いて希望者に配布。機関紙はそ…

精神生理学研究所のこと-6(終章)

前出の富井玲子さんのGEIJYUTU ON THEIR MINDS Memorable Words on Anti-Artでの精神生理学研究所に関する部分を引用する。訳してくれたのは英語科の教師であったM.Mさん。 「現代美術のもう一つのその場限りの形態は、メールアートである。メールアートは主…

精神生理学研究所のこと-5

第1回の精神生理学研究所の活動が終わって、第2回目にGUNのメンバーの前山忠を誘った。2回以降、前山さんは前山研究所として参加となる。 ダダ・カンこと糸井貫二さんの参加の橋渡しをしたのも私のようである。ダダ・カンへGUNから郵送作品集を70年1月に送っ…

精神生理学研究所のこと-4

精神生理学研究所の作品などがLosのGetty Centerでの展覧会に出品されるというのでわざわざ見に行ってきた。Los滞在は2007年4/27〜4/29。 展覧会のテーマは「芸術・反芸術・非芸術:戦後日本の公共圏における実験1950-1970」会期3/6〜6/3というもの。 展覧会…

精神生理学研究所のこと-3

昨日掲載いたしました第4回Blue Sky Project展に参加希望を持たれた方ぜひご参加をお願いいたします。申し込みのご連絡をお待ちしております。さて、精神生理学研究所を紹介する回顧展が迫って参りました。宣伝いたします。1969年12月-1970年5月の間に新しい…

第4回BSP募集要項

第4回 Blue Sky Project国際美術展 -Love Blue Sky & Peace-参加者募集要項地球を包んでいる青空。青空は一つ。青空をモチーフに世界平和への思いを表現しよう。 1 趣旨青空は雲の上にあって地球を包んでいます。青空は一つにつながっています。美しい 青空…

2009年5月後半

1970年頃の古い話しが一段落しました。1972年以降の話題は今後も時々取り上げて行きますが、最近の話しに戻ります。 小市民としての趣味の野菜づくりです。ホームセンターでナスの苗を買ってきて鉢に植えました。右側はセットものの土です。そのまま花や野菜…

1970年12月以降-10

4月30日のブログから、1970年〜72年を彷徨いながら整理してきた。この期間に踏み込んだ世界、出会った世界、切り開いた世界が今につながっている。この期間に見た、感じた、考えた、表したなどの世界に今の原点がある。誰かの著作を読んで悟ったという話しで…

1970年10月〜12月

昨日の最後にメールアートの「自家中毒」という言葉を書いた。メールアートという限界のある表現制度の中であれこれと模索して、不足料金を相手側に支払わさせてしまうことを作品にしようとしたわけである。当時の自分自身の中の発想の閉塞感を示す作品であ…

1970年9月

ニルヴァーナ展と大阪万博から帰って9月に入った。学校は運動会や文化祭等で忙しくなる。それでも日曜日になるとGUN(実質上は佐藤秀治さんを合わせて3人)の活動でどこかへ出て行くことが続いた。次は、前山さんからの9月早々の案内である。新潟県民会館で…

1970年の5月〜6月(追加)

私の「石を送るメールアート」を運んでくれた中ノ俣簡易郵便局長の小林武雄さん。一度に沢山の作品を発送しないように配慮。 この石の荷札の日付は5月30日なので、京都市美術館へ送ったもの。 6月に入って東京から送り返されてきた「石」。アートではなく本…

1970年9月12日、13日

1970年9月12日(土)のこと、私は、ドイツのPaul Maenzさん宛に東京ビエンナーレ「人間と物質」展のカタログを航空便で送った。このカタログが2003年にNYの富井玲子さんからのメールでLOSのGettyに収蔵されていることが判明。このことについては別の冊子に書…

1970年8月16日

8月15日は、大阪の池田正一さんのお宅に3人で泊めていただいた。翌16日に、いよいよ万博へと足を運んだ。会場は人ばかりで、人気館は1〜2時間待ちがざら。結局入ったのは、並ばないで入れる所だけ。途中で雨が降ってきたことが写真から分かる。前山さんのふ…

1970年8月15日

第10回日本国際美術展「人間と物質」の東京展にはアポロ13号の打ち上げに対応して13個の石を郵送した。会期が終わって石が送り返されてきた。ちなみに5個くらい会期中に盗まれたりした。一個は記念に実家に保管したが他は針金の縛りをほどいて元の中ノ俣川に…

ニルヴァーナ展-2(1970年8月)

1970年8月12日〜14日のニルヴァーナ展に二つの出品プラン(作品・行為)で参加した。 参加プラン1。137名宛に匿名の差出人の往復はがきで指示を出した。ニルヴァーナ展の宣伝と郵送での展への参加要請を意図していた。49名が指示に応えてハガキを投函してく…

ニルヴァーナ展−1(1970年8月)

1970年8月に京都市美術館でニルヴァーナ展が開催された。「最終美術のために」という究極的に美術を相対化するテーマを持つ展覧会だった。そこに参加したことの意義を、改めて振り返ってみる。この展については美術手帖1970年10月号192p〜201pの福住治夫さん…

1970年9月23日

9月23日。職員旅行で立ち寄った群馬、長野にまたがる白根山の山頂にある大きな岩から飛び降りた。同僚のUさんが撮影してくれた。4mくらいの高さから飛び降りた。下手をすれば怪我をしたかもしれない。若かったからできたのである。この時、イヴ・クラインの…

1970年7月二題+本日のStamps

1970年5月の第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」は名古屋、京都、福岡と巡回した。その都度石を送るという対応をしたので、その行為が形式的になり少し疲労感が残った。東京以外は見に行くことも出来なかった。第一にお金がなかった。8月の京都での「ニル…

1970年12月以降-9

連合赤軍の浅間山荘事件の後、リンチ殺人の数々が明らかになる。そんな渦中で、3月に入って学校は卒業式を迎える。多忙さと精神の虚脱感を同時に感じつつ校舎から、集落の雪景色に見とれている自分がいた。 春休み、諏訪湖を見に行く。下諏訪の松澤宥さんは…

1970年12月以降-8

自分で撮影した写真を自分で現像して絵はがきに仕立てて送る作品を月に一回くらいのペースで続けた。しかし、何名宛にに送ったかそのリストはない。親しい友人の5名くらいは覚えているが、そのことで返信をもらったのは一件だけ、次のKさんからの手紙である…

1970年12月以降-7

東京で展覧会に出品したり、新潟で山下洋輔を見たり、しかしそれは非日常。帰ってくる場所は勤務地の山間僻地である中ノ俣。10月の終わりに鱗雲が美しく見えて撮影。この頃に、新潟の小西反軍の集会で内ゲバがあり、沢山の友人が襲撃を受け持ち物を奪われ、…

1970年12月以降-6

1971年10月9日撮影。新潟、神無月のジャズ・ロックカーニバルにて。この日、山下洋輔を初めて見た。 この企画への私の関与については、先日次に書いた。 http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090501/1241127685 登場したのは、山下洋輔トリオ、頭脳警察…

1970年12月以降-5

当時、何名かに送っていた「絵はがきシリーズ」を道標に、過去を徘徊して語っている。1971年8月13日に十日町市中条の最初の石を拾った河原へ行った。当時、堤防からすぐに河原に下りることが出来た。 なぜ中条に行ったのか。河原に行くことの他にも目的があ…

GW/2009.5.5

こどもの日に鯉のぼりの風景である。この時節に、日本のどこにでもある変哲のない風景である。クリアな青空ではなかったが新緑に映えて爽やかな風に泳いでいた。しかし、この鯉のぼりは、私たち夫婦が娘夫婦の子ども=孫に初節句のお祝いに贈ったもの。この鯉…

GW雑記 と1970.12月以降-4

昨日はGWの家族付き合いで隣の長野県の野沢温泉へドライブ。お風呂に入ってきただけなのだが、途中飯山の「菜の花祭り」が圧巻。桜と違う黄色、菜の花色の幸せな感じが人々を魅了し、沢山の人ででした。 野沢温泉のことは別の機会に書きたいです。23年前から…

1970年12月以降-3

1970年に福岡の伝習館高校での3人の教師に偏向教育を行ったとして、懲戒免職処分が下された。この処分に異議を申し立てる裁判闘争に関わって全国に支援の動きが広がった。私も、教師の立場から強く心を動かされ、支援組織として新潟•伝習館裁判闘争を支援す…

1970年12月以降-2

好天に恵まれて、気持ちもよいゴールデンウィークである。今日は憲法記念日である。その憲法と関連づけて、古い写真から今日的意味を見付けてほしい。38年前の小西反軍闘争デモの写真である。写真アルバムのメモでは1971年7月5日とある。デモ自体には加わら…