Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年12月以降-6

1971年10月9日撮影。新潟、神無月のジャズ・ロックカーニバルにて。この日、山下洋輔を初めて見た。

この企画への私の関与については、先日次に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090501/1241127685
登場したのは、山下洋輔トリオ、頭脳警察、DEW、ブルースクリエイション、遠藤賢治、友部正人他地元新潟のいくつかのバンド。


演奏が始まる前、北川フラムさんの父親である北川省一さんが看板を書いていた。達筆なのでびっくり。時期ははっきりしないが、少し前に朝日ジャーナルの投稿記事で戦中から戦後の波瀾万丈の歩みを書いておられたのを読んでいたので、関心をもって写真を撮影。


誰かから撮ってもらった写真。後ろに、北川フラムさんの後ろ姿が写っている。

イベントの翌日に関係者で集って歩いて日本海を見に行った。護国神社の辺りだったように記憶している。この日本海を見たことだけが共通の想いを形成したようであった。


このイベントを中心に一ヶ月間、「神無月・日本海・飢え」をキーワードに文化活動に関するシンポジウムや新潟日報への論文連載などが行われた。この企画の裏方は北川フラムである。この企画から4年後、そのまとめにあたる「祭りの裏方」の謀略について自ら発行した月刊「天界航路」創刊号(1975年2月25日発行)で柴田甫の名前を用いて「共通の言葉を持ち込むことの困難さ」について語っている。この冊子は1979年までに9号発行して終わりを迎える。北川省一さんはその全ての号に良寛論「良寛遊戯」を連続して展開。それを元にアディン書房より「良寛遊戯」1977年10月に発刊。以後、北川さんの良寛に関する著作は20種類くらい出版される。そのおかげで、私も良寛の世界に少し親しむことになる。それから数年後、言わば北川良寛さんの世界から「表現することについて実存的な発見」をし精神的な安定を得ることになる。