Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年12月以降-3

1970年に福岡の伝習館高校での3人の教師に偏向教育を行ったとして、懲戒免職処分が下された。この処分に異議を申し立てる裁判闘争に関わって全国に支援の動きが広がった。私も、教師の立場から強く心を動かされ、支援組織として新潟•伝習館裁判闘争を支援する会を設立する等に加わった。いわゆる反戦教師の立場に立った訳である。この教育内容が理由の懲戒免職を問う裁判は、結末として最高裁で敗訴する。Web上で調べて見たら、かなりの記載がある。「伝習館闘争」から検索を入れたりして訪れてほしい。
K教諭を招いて、話しを直接聞いたこともあった。教師としての自己を確立することで大きな影響を受けたのである。
次の写真は、長岡で伝習館闘争を支援する会の集会を行った帰り道で、友人と話しながら柏崎から柿崎の間の車中から日本海方向を撮影した。水平線、深い黒雲から放つ光、その光景、不定形の定形の姿。この写真は、私が教師として自立的な実践を決意した心象風景である。


3月末のピナール画廊での「言葉とイメージ」展で上京し、稲憲一郎さんと一緒に「三里塚」まで出かけた。砦に立てこもる闘争の姿を実見して撮影したこの写真も当時の私の決意を示す心象風景である。この4月から、教師として美術教育を中心に子ども達と真剣に向き合うようになっていく。


最初は伝習館救援会から活発に通信がでていた。この「伝習館・自立闘争宣言」が出版されたのは1971年6月1日付けである。翌年には「伝習館・教育主体の構造」が出版された。