Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

精神生理学研究所のこと-6(終章)

前出の富井玲子さんのGEIJYUTU ON THEIR MINDS Memorable Words on Anti-Artでの精神生理学研究所に関する部分を引用する。訳してくれたのは英語科の教師であったM.Mさん。

「現代美術のもう一つのその場限りの形態は、メールアートである。メールアートは主に郵便局で集配されるはがきやその他の紙の短命なものに頼っている。1969年から1970年にかけて活動したメールアートの集団「精神生理学研究所」は、自分たちで収集記録することに照準を当てた。メンバーが例えばパフォーマンスをやるために集まったようなグループ「位」や「ザ・プレイ」とは違って、「精神生理学研究所」のメンバーは、企画を実行する為に実際に集まるということはなかった。代わりに郵便でやりとりをした。彼らが行った唯一の物質的形態は、1970年に集約された彼らのメールアートのポートフォリオだった。」

(訳者註 ephemeral 切手、絵はがき、ポスター、切符、パンフレット、など短命な収集品、その場限りのもの)

手紙のやり取りの中心は事務局を担当してくれた稲憲一郎さんと竹田潔さんだった。私がいただいた手紙類はできるだけ保管してきたが、全ては残っていない。私信と言えるものを含め、竹田潔さんからいただいたものが多く残っている。
この手紙は竹田さんからのもの。内容から考えて1970年4月中ににいただいたものである。4回の活動を終えた時期の、まとめをしようという提案など、活動の締めくくりについての竹田さんの考えが読み取れる。私も、ここに書かれていることと同じ考えだった。

5月、6月の活動の後、まとめの記録集が完成した。その奥付けには8月1日と記載されている。完成した後、ほぼ全員が「ニルヴァーナ」展へ参加する訳だが、「ニルヴァーナ」展でこのまとめをアピールすることはなく、それぞれが個々に参加し、新たな一歩を踏み出そうとしたはずである。この後、12月から翌年2月頃まで、それぞれがゲリラ的に「精神生理学研究所」を名乗って、精神生理学研究所の判子を使って数ヶ月の活動を展開していく。GUNの佐藤秀治さんもこの第二期に参加している。そして、3月の針生一郎企画によるピナール画廊での「言葉とイメージ」展に招待される。ここで「精神生理学研究所」が終わったと言える。その後、精神生理学研究所を名乗った活動の記録はない。(私の、精神生理学研究所についての語りもここで終了!)
次に、資料的な意味があるので「言葉とイメージ」展の招待状を掲載する。ゲスト的に参精神生理学研究所に加していただいた松澤宥前田常作を含めると計7名の名前がここにある。針生さんから注目、評価されていたことが伺える。



私は、この「言葉とイメージ」展に佐藤栄作総理大臣の「零円切手」とガリ版によるGUN郵送戦線の機関誌、「石を送るメールアート」を出品。その他の作家のことはよく覚えていないが、高松次郎さんの「These Three Words」と「この七つの文字」があった。その他、気になった作品を撮影した写真が数枚あるので近日中に掲載したい。