Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年8月15日

第10回日本国際美術展「人間と物質」の東京展にはアポロ13号の打ち上げに対応して13個の石を郵送した。会期が終わって石が送り返されてきた。ちなみに5個くらい会期中に盗まれたりした。一個は記念に実家に保管したが他は針金の縛りをほどいて元の中ノ俣川に返した。この展覧会は続いて、京都市美術館へと巡回した。会期は6月8日〜28日。この展覧会にはThe Mail Plan -stone-9-というタイトルで石を9個郵送した。対応して行為してきたアポロ計画がなかった。石を送る行為だけとなった。このために5月30日から6月7日の間、一日一個ずつ送った。記録を見ると中ノ俣、長岡、菅原の3カ所の郵便局から送っていた。石の採取場所は中ノ俣ではなかった。どこであったかは定かではないが、その日その日の生活地から送ったのである。中ノ俣は勤務先、菅原は実家、長岡は80kmくらい離れている。

発送前の姿と到着後の姿を撮影しそれを上下に貼った記録集を作成していた。郵送は簡易書留で郵送料はどれも同じ250円。大きいものは3.3kgの重さであった。展覧会自体は見ていない。到着後の姿を撮影してくれたのは峯村敏明さん。峯村さんは当時の毎日新聞社の事業部におられ美術展を担当されていた。


私は、ニルヴァーナ展で京都へ行くことを予定していたので、石を送り返さず保管しておいてもらうようにお願いし、京都に行った時に針金の縛りを解いて、自然に返そうと考えた。そして、その石の関係者である峯村さんがニルヴァーナ展に来られることを伺っていたので、事前に自然に返す場面での立ち会いをお願いした。
この写真を撮影してくれたのは友人の竹田潔さん。8月15日のこと。撮影者を含め立会人は二人。(この行為の後、前山さん、佐藤さんの3人で大阪に向った。)


場所は加茂川の三条大橋の下。保管場所から石を運び、川原に並べ、ペンチで針金を解き、荷札を外して、水流に投げ返した。これら一連の行為の意味はなんだったのか。予定調和的な行為であった。自然からの借り物をお返しするという考えはあったが、自分自身に感動はなかった。峯村さんにもそのことは伝わったはずである。一個一個の石をアートとして全身全霊を傾けて扱っているという意識は希薄であった。インスタレーションという考え方もなかった。名古屋展(7月15日〜26日)と福岡展(8月11日〜16日)へも同じタイトルで9個の送ったが、会期終了後に廃棄していただいた。その石の記録写真はある。峯村さんにお願いし撮影して送っていただいた。その石が、どのように廃棄されたか、どんな評判であったかなどについて残された記録、情報はない。峯村さんには大変ご迷惑をかけた。この「人間と物質」展で送った石は合計で40個。