Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年10月〜12月

昨日の最後にメールアートの「自家中毒」という言葉を書いた。メールアートという限界のある表現制度の中であれこれと模索して、不足料金を相手側に支払わさせてしまうことを作品にしようとしたわけである。当時の自分自身の中の発想の閉塞感を示す作品である。GUNの仲間との間、また精神生理学研究所の第二次の活動としてかなりの点数?発表した。
最初の試みの作品。

これは二次の精神生理学研究所の作品。宛名面だけの作品。記録用に自分宛に送ったもの。


受け取る側にとっては随分と迷惑なことである。これは舞踏系のSさんからいただいた中止の要請。スタンプの日付は読み取れないが71年1月だったと記憶している。この要請を素直に受けて、この不足料金を払わせる作品を送るのを取りやめることにした。

メールアートは送る側が送りたい相手に一方的に送ることはできる。しかし受け取ることについては受け取る側の自由である。その意味で、これらの不足料金作品は早々に処分されたことであろうと確信している。その当時、迷惑と思われた方々に、ここでお詫びさせていただきます。
三島由紀夫の自殺直後のこの時期、このような迷惑メールアートに取り組む一方で「小西反軍闘争」のデモに出かけ始めた。また、この作品の反省から自分で撮った写真による絵はがきシリーズへと移行していったわけである。