Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年12月以降-10

4月30日のブログから、1970年〜72年を彷徨いながら整理してきた。この期間に踏み込んだ世界、出会った世界、切り開いた世界が今につながっている。この期間に見た、感じた、考えた、表したなどの世界に今の原点がある。誰かの著作を読んで悟ったという話しではない。本はかなり買ったり読んだりしてきているが、とことん読み深めたり、完読することができないので身に付いたことは少ない。この間の歩みに3つの記事を追加する。
1971年3月のピナール画廊での「言葉とイメージ」展で朝日新聞の全国版(4月3日付け)に「石を送るメールアート」で載った。この時初めて「地球の石」という荷札メッセージをつけたように記憶している。記事が大きすぎてブログでは紹介していないが最初は読賣新聞(70年1月8日)、そして毎日新聞(70年5月14日)。そして朝日新聞の順で全国三紙に載ったわけである。以後、アートのことで全国版の新聞に大きく出たことはない。

何月か日付は不明だが72年4月くらいに地元で公開された流行の映画を見た。その映画「ゴットファザー」の一場面で、ファミリーが記念写真を撮影する場面のカメラマンがシャッターを押す場面を撮影。これはデモで警察がこちらを撮影するのに対峙して撮影したことに関連していた。かなりしてから絵はがきシリーズで発表した。(なぜか投函の日付は1974年8月29日で、次の新井中学校に転勤後である。)結局、絵はがきシリーズは、この写真が最後で15種類で終わってしまった。

1972年7月下旬の生徒引率の海水浴にて。サロンパスでGUNの文字を切って作った日焼けのボテーアート。たいした作品ではないが思い出の作品。

この後、11月に地元の大島画廊で個展を開催。