Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

初めての個展-1(1972年11月)

1972年は激動の年でした。主立った事件を記す。1月-横井庄一さん、グアム島で保護。2月-冬季オリンピック札幌大会。ニクソン大統領中国訪問。連合赤軍浅間山荘事件」。3月-連合赤軍リンチ殺人事件発覚。4月-川端康成ガス自殺。5月-沖縄施政権返還。沖縄県発足。日本赤軍「テルアビブ空港で自動小銃を乱射」。6月-田中角栄通産大臣日本列島改造論」を発表。佐藤栄作首相「テレビだけの会見で引退表明」。7月-田中角栄総理大臣就任。8月-カシオ電卓発売。9月-ミュンヘン五輪パレスチナゲリラ侵入事件(イスラエル選手11人を殺害)。田中総理大臣中国を訪問(日中国交回復)。10月-中国からパンダ到着。
世界が一挙に動き出した年であり、それまで依拠していた社会意識、正義に対する考えが瓦解。今の言葉で言えば、自分探し、自分を再構築、立て直すために地元で個展を開催。案内状で使用した写真は機会の画廊開場の階段、入口部分を撮影したもの。

連合赤軍の事件が発覚して以来、石を送る気力をなくす。石に針金をかなりの密度で巻いた作品になる。

今この作品は、このように錆びてしまっている。近日中に針金を外し石を解放?する予定。


田中角栄の「今太閤」の写真展。全国を巡回。いずも屋デパートで撮影。タイトルは「考現学

自分と角栄さんを対比させた作品。

撮影した写真を利用して「零円切手」を作成。美術手帖の「紙面解放計画」に出品した。

上越の印刷屋で作った同じ零円切手はあまり綺麗な出来ではなかった。

田中角栄首相の色々な週刊誌のグラビア映像を使ったコラージュ作品を出品。これも「考現学

原爆の映像は「フランスの核実験」だったはず。




佐藤栄作のイメージ。


(続く)