今日は、久しぶりに美術教育関係で後輩たちにレクチャーをします。パワーポイントなどを使います。パソコン様々です。年度始めに依頼を受けているのに準備は間際になってしまいます。
レクチャーのレジメ(案)です。もう少し時間までに練り直しますが。
平成24年10月30日 高陽荘
県立近代美術館での「GUN−新潟に前衛があった頃−展」の開催を手がかりに
私の表現活動と私のある美術教育実践の歩み
堀川紀夫 Michio Horikawa
1 1946年生。1964年大学へ。芸能科の気風。そして十日町市へ採用。
初めての東京 ああ上野駅 ミロのビーナス 長岡現代美術館開館
現代美術との出会い 糸魚川市展から十日町市展へ
2 新潟現代美術家集団GUNへの参加以後
前衛神話 欧米からの新しい表現の波 M.DUCHAMPの呪縛
美術教育の変革もテーマ
3 中ノ俣への転勤。組合教研と上越美術教育連盟との出会い
地域性のある題材開発など〜1973年まで
デザイン学習。教科性の確立の研究 内容研究と教材開発
ベトナム反戦、三島事件、極左テロ、小西反軍、連合赤軍事件、沖縄返還
4 全国教研山形大会と大規模校への転勤
5 部活動を担当させられる。結果第一の勝負の世界
6 多忙な現実の課題。観念から身体へ
7 教育研究(題材開発)と美術表現活動
美育文化への執筆の機会
8 カリキュラムの自校化:文部省指定研究
9 実践発表の機会:題材開発の展開。そして上越教育大学研修
10 再びの大規模校。管理職試験への取り組み