Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

美育文化2013.5号に執筆

美育文化2013.5号に執筆させていただきました。原稿を提出したのは3月でした。表紙と私の執筆のところだけを掲載します。久しぶりに自分自身の「美術教育」の現場にフイードバックし、美術教師であった自分の原点を見つめて整序。現在の創作活動と一体的、不可分で無垢な心を自覚•自賛した次第です。


掲載図版
「雪のイメージを変えるイベント」©Mitsutoshi Hanaga 1970.02
Sky Catcher '09 ©Michio Horikawa 大地の芸術祭2009

テキスト

特集テーマ「目覚めよ!身体/共感覚

私のある指導計画とアートの歩み
美術家 堀川紀夫

 東京五輪の年に大学へ。戦後の発展にシンクロして私の青春があった。67年に「新潟現代美術家集団GUN」結成に参加。翌年から、教師と作家の2足で歩んだ。最初は現代美術の良さを直接的に生かす題材開発を志向。観察より想像表現重視の路線だった。「自由に自分を表現」する自画像版画、雑誌や新聞を使った「コラージュ」、「心の世界」をテーマにした想像画などで生徒表現の質の高さに感動。私らしさでは新素材の紙塑粘土に流行の蛍光塗料で彩色するオブジェ題材を開発したこと。文化祭ではそれらをブラックライトで照らし異空間を演出。69年にはアポロ11号の宇宙中継を聞きながら近くの信濃川原で地球の石を拾う「アース・ワーク」の体験学習を実施。その石を「メール・アート」に仕立て評論家や作家に送付。この時期、アート活動と美術教育が渾然一体的であった。翌70年2月には信濃川原を舞台にGUNの最大の成果となった「雪のイメージを変えるイベント」に参加。その4月にはへき地へ転勤。そこに「第10回東京ビエンナーレ(人間と物質)」展への招待が待っていた。「石を送るメール・アート」を出品。その際に都美術館前の公園にL字鋼の輪を埋めるリチャード・セラなど有名作家の制作現場を目撃。それらの衝撃が、今も心を支配。その後、大阪万博の狂騒も終わり、時代が変化。作家活動とへき地校の教育課題との乖離から内省の時が訪れた。
 ようやく生徒と地域に正対することに目覚め「「地域の伝統に根ざした題材」を開発。妖怪の猫又を退治し地域を救った「吉十郎伝説」を一年近く追求。それで県代表に選ばれ全国教研山形大会で発表。そのことは生徒たちの自信につながった。そこで全国各地の美術教育の実例に学び、自らを補強。次は大規模校へ転勤。教育労働の急増に苦労しつつ教科部で「生徒の心情にしみいる題材開発」に着手。構想画の「校歌の世界から」、川原の玉石を刻む「石への挑戦」、夢を込める「Time Egg Capsule」などを開発。続いて、薄い紙を使ったエアー・アート「軽熱気球の冒険」を。気球が完成する際は必ず生徒の歓声が。そして「言葉遊びのイラストレーション」、長尺の画用紙に描く卒業記念画の「卒業のポーズ」、「学年・卒業パズルメッセージ」などの共同作品を開発。これらに生徒たちが意欲的に取り組んでくれたことが私の醍醐味だった。
 自らの来し方で「私のある指導計画」を成してきたことを自負し、生徒たちに感謝。また、アラフォーの頃に、改めて「写生画」や「風景画」「人物画」が内包する教育的価値、また絵画題材の全てが「画六法」に網羅・集約されていることに気付いて、それまでの狭い思い込みの美術教育観を悔いた日々もあった。後任者が継続実践してくれた題材があったことは有り難かった。地元の美術教育連盟での指導内容の研究や関ブロ、全国大会などで発表する機会には意欲的に取り組んだ。教科書題材に依らないアート的発想を教育実践に順接させるために指導内容の構成と計画立案、説明責任には留意した。
 年齢相応に多忙となる中で、一時停滞していた作家活動にも展望が開け、80年代に雪にボディプレスした像を写真で定着する「Snow Performance」を発見。2000年には新潟市での「アジア現代美術展」や十日町地域での「大地の芸術祭」へ参加。英国Tate Modern美術館での国際展「Century City」に招待される幸運もあった。
 管理職となって、備品のデザインが実践の場に。体育祭の「聖火台」、校名をあしらった「イニシャル・ベンチ」、周年事業の「記念モニュメント」など。また生徒たちとふれ合う方法で「マスコットinエデケーション」を実践。トラのぬいぐるみで「トラの皮自慢」などを分かりやすく講話。
 リタイア後に、9/11の青空と広島・長崎の原爆投下時の青空とをリンクさせて平和を表現する「Blue Sky Project国際美術展」を企画し5年連続開催。インターネットの良さを活用し国内外500名以上の参加を得た。なお同プロジェクトの賛同・協働者により8ケ校の児童生徒でも実践。新たな題材開発例となった。今、美術家として記号論的な意味生成の視点を重視。名刺には「美術家、美術教育支援」と。美術は奥深くますます面白く見えている。  (ほりかわみちお 2013.03)