Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

初めての個展-2

後ろの壁面の作品は、浅間山荘事件や日中国交回復などを報道した新聞に自分の顔をシルクでプリントしたもの。情報の借用、再確認を意図していた。このような制作の基本的態度は今も変わっていない。右の作品は1969年制作の錯視を利用した作品。

左にあるのは卒業記念に作った背広をキャンバスで同じ洋服屋に頼んで作った発注芸術作品。(タイトルは「日記:1968年4月1日」)

佐藤秀治さんが駆けつけてくれた。後ろは実家の押し入れにあった戦争時の新聞をそのまま広げて展示。その後拡大して印刷した「御馬上の聖上陛下」のちらしもある。

零円切手を机上に展示。所有希望者はカンパと引き換えに零円切手を持ち帰ることができる。机上の中心に美術手帖の紙面解放計画の作品。右側にあるのは「ねずみ取り」のようなので、関根哲男さんが賛助出品してくれた作品のようです。

左の壁面には皇太子さまの赤ん坊の写真があります。机の上にどのような作品を展示したか、読み取れません。また、記憶もありません。右の壁にあるのは「精神生理学研究所」の作品の一部と「石を送るメールアート」のことが掲載された新聞がある。

佐藤さんと関根さんをポラロイドカメラで撮影し「日記:友人」とタイトルして展示。フイルムを引き出すのがうまくいかなくてかすれている。ポラロイドはすぐに現像できたので、一時期楽しんで使用した。この後、いわゆる「バカチョンカメラ」を使うようになり、ポラロイドを使わなくなってしまった。

この時の芳名録によると入場者は120名くらいだった。母親の名前もあった。この2年後、母親は亡くなってしまったので、当時のことが色々と思い出された。この個展は、言わばそれまでの回顧展であった。意識の上では前衛的な展開を目指しているが、既に挫折していたように思う。この後、かなりの期間ヒットする作品はなく、暗闇の中での試行錯誤が続く訳である。