Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年9月

ニルヴァーナ展と大阪万博から帰って9月に入った。学校は運動会や文化祭等で忙しくなる。それでも日曜日になるとGUN(実質上は佐藤秀治さんを合わせて3人)の活動でどこかへ出て行くことが続いた。次は、前山さんからの9月早々の案内である。新潟県民会館で小さなシンポジウムが行われた。

先輩の長谷部昇、宮野浩さんがおられた。メモ等残っていない。メールアートのことを話したら、参加者の一人から「そういうことを非芸術というのです」と言われたことを覚えている。でも、私自身が「非芸術」という言葉を論理的に確実に意識して使うようになるのは2001年のCentury City展に関わって、そのキューレターで美術史家の富井玲子さんのテキストを読んでからである。


9月13日にヨシダ・ヨシエさんとお会いしてから前山さんから届いた手紙。

この月に信濃川か分からないが、どこかの川へ石を拾いに行った。そして、石を3人に送ったいる。

スキャンしたネガをズームインして見たら、ヨシダ・ヨシエさんと河口龍夫さんの名前が識別できた。真ん中の小さめの石の宛先は識別できなかった。

9月13日の写真を使った私宛のメールアート。つまり、ヨシダさんへ送った作品はヨシダさん以外の3人の顔の目の部分をカットしている。

この頃、GUNの3人で盛んにメールアートの取り組んだ。しかし、その内実は郵便制度を乱用。郵便法違反すれすれや逸脱など、閉鎖的、自家中毒的なものになっていく。