Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

ニルヴァーナ展−1(1970年8月)

1970年8月に京都市美術館ニルヴァーナ展が開催された。「最終美術のために」という究極的に美術を相対化するテーマを持つ展覧会だった。そこに参加したことの意義を、改めて振り返ってみる。この展については美術手帖1970年10月号192p〜201pの福住治夫さんの記事がある。私の作品の一つは、五円玉に「あなたに五円あげます」と書いた荷札を付けて、会場の内外で配るという行為。そのドキュメントでの拙いやり取りも紹介されている。
会期は8月12日〜14日。すべての日程に参加。色々な場面を撮影したが、自分のことで精一杯だったので、他の作品のことはほとんど覚えていない。私は、「石を送るメールアート」及び1969.12〜1970.5の精神生理学研究所の活動からの流れに乗り、表現を発展・拡充させていくことを目指して参加した。が、その時点では美術表現のメタ思考、意味生成の論理ついて確かな考えを持ち得ていなかった。自分の表現・行為は、次なる展開のための展開であった。それは思いつきに走ったもので表現理念は未熟なもので、例えば自己評価を可能とする客観的な視点は欠落していた。そのことだけが確かなことである。(再加筆及び訂正)
展示風景

会場風景。小さな紙の作品ばかり。会場は当事者以外はガラガラ。




精神生理学研究所の仲間の島村清治さん、稲憲一郎さん、竹田潔さんが写っている。

宿舎にて。羽永光利さん。

松澤宥さん。「オブジェを消せ」という話しをされたことだけ覚えている。

皆でわいわいがやがやの気ままな話し合い。

宿舎前にて。比叡山へのルートにあるラジウム温泉

このニルヴァーナ展を出発点に飛躍した作家は?である。この展には、わら半紙に印刷した手作りの記録集がある。本日、その封を解いてみた。今の自分から幾つか見えてくるものがあった。自分のスタンスを確かに持って最小限の存在証明を提示しているKさんやIさんの作品が素晴らしい。そのような今に意味作用がつながる作家の記録以外はシュレッダーにかけて処分した。私と新潟の仲間の作品については明日付けで紹介する。