Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1970年12月以降-9

連合赤軍浅間山荘事件の後、リンチ殺人の数々が明らかになる。そんな渦中で、3月に入って学校は卒業式を迎える。多忙さと精神の虚脱感を同時に感じつつ校舎から、集落の雪景色に見とれている自分がいた。

春休み、諏訪湖を見に行く。下諏訪の松澤宥さんは地方で現代美術を続けて行くことを体現しておられる先人。そのお方に、お会いしたい気持ちがある反面、会ってはならないと思っていた。適度な距離をもって話しを伺うような力量がなかった。結局、諏訪湖だけを見てきた。実際に諏訪の松澤さん宅を訪れたのは1996年のこと。


72年4月である。2年ぶりに学級担任となる。少ない雪だったので雪はすぐにとけた。グランドから見た春耕少し前の集落の眺め。

グランドの回りの斜面に体力作りのためのロープが張られていて、休み時間にそれを伝って上っては下りる生徒達。教師としての決意を示す5月頃の写真。

さて、同じ班の2軒お隣のMさんが亡くなられ、9時から葬儀に参列。小学校教育と植物生態学に捧げられた93年の生涯。カソリックの信者でおられ、私のとっては初めて教会での葬儀でした。
故人のご意志で質素、最小限の装飾の葬儀でした。
故人の遺影が掲げられていたイーゼル、その下に故人が慈しんで育てておられた山野草の花が配されていました。謹んで掲載させていただきます。

自宅に戻り、屋敷内に咲いていた花を撮影。Mさんは私が大学4年の時の教育実習校の教頭先生で髪の毛が長いのを整えるように指導を受けたことがあった。その霊に献花させていただきます。