Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

屋敷の花々

今日は曇りで、風がかなり強く、夕方に少し日差しが見えただけだった。午前中は本棚の並べ替え、1984年頃の新聞スクラップ帳を整理し直し。厚さで5cmくらいを処分。
さて、この時期の新聞記事(朝日1979.9.4)松本健一の「1964年以後」はすごく納得のいくものだった。1964年は「東京オリンピック、新幹線、ビートルズ」で私なりに付け加えると「長岡現代美術館の開館」がある。この年にわがくには「近代日本」の枠組みをはずして、西欧と横一線の「近代そのもの」に到達したと見て良いのではないか、とする考え方、同じく付け加えて「長岡が日本の現代美術の最先端」である。また同時に公害といった現象に明らかになように、きわめて急速な近代化によって西欧に先立って「近代の末路」を突き出した感さえなくはない、という。
この松本さんが半年くらい前のNHK視点・論点で「民主党政権の誕生」を第三の開国と言われていた。第一が幕末の黒船による開国(武士独裁から帝国主義へ)-第二が1945年の敗戦(帝国主義から民主化へ)-そしてベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結以降のクローバリゼーション世界に向けての民主党政権誕生。(民主党政権は国民が主体的に選んだということで歴史の大いなる転換ということ。)この文脈で1964年は小項目の指標になるように思われる。だから、現政権ががたがたしていても民主党支持にそれほど変化はないということにもなる。
この1964年に大学に入って、この記事に出会うまで15年。その間社会的には70年安保、沖縄返還連合赤軍事件、第一次オイルショック等の大波小波があった。そして、私の歩みは1976年に所帯を持って急速に小市民化してしまう。
いずれにしても今、1964年のスタートを考える。そんな観点から、1964年の「さようなら読賣アンデパンダン」に結実して行くその10年前くらいからの戦後美術の歩みをほぼ調べ終えた。1964年から今日までの美術を考えて、先日取り上げた静岡の本阿弥清さんのような確かな歴史の検証が必要であると痛切に思う。話は飛躍するが、今、村上隆が世界的に売れている。しかし私は彼の作品に感動した事がない。村上隆の作品のどこがいいのか教えてほしい。今日は、日頃の鬱憤が出たような書きっぷりになった。(30日に補正)

掲載写真は、今日撮影した屋敷の花々です。






この桜は昨年植えた孫の記念樹。当たり前なことだが、どんどん大きくなってもっと沢山の花を咲かせてほしいと思う。