Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

針生一郎さん逝去

針生一郎さんが亡くなられました。直接お姿を拝見したのは3度くらい。また、随分前ですが、一度だけお話をいただいて「新日本文学」に原稿を書いた事があります。個展やグループ展の際は必ず案内を差し上げており、何度か芳名帳にお名前を確認させていただきました。戦後の美術批評家で御三家と呼ばれていた頃が思い出されます。最近、1950年代のアンフォルメルアンデパンダンの「みづゑ」などの記事を読んでいました。お若い頃の写真も見ておりました。幅広い評論を展開されて来られました。本当に残念な事です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
新潟日報より。

十年前の第一回大地の芸術祭の開会行事(前夜祭)で来られた際に、松代駅ビルの寿司屋で針生さんを囲んで撮った写真がありましたので掲載します。植松奎二、河口龍夫ご夫妻、前山忠、西野康造さんらと一緒でした。

次は1993年6月6日に前山忠さんが撮影されたものです。 富山県民会館で大浦信行さんの「遠近を抱えて(昭和天皇コラージ)」に発する「富山県立近代美術館問題を考えるインポジウム」でのスナップです。


さて、針生さんのご子息のブログから誕生日が判明しました。そのことと手持ちの著書「戦後美術盛衰史」の写真をもとにE-mail Stamp をつくらせていただきました。哀悼の意を込めて掲載させていただきます。