Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

時事川柳スタンプ(一月前)

東電は爆発事故から2ケ月を経て一号機が直後に炉心溶融メルトダウンしていたと発表。水棺化する方針を見直すとか。事態が進展しているのではなく遅々と停滞しています。当局側の記者発表しかない一方通行の中でこの様な時事をどうとらえるか難しいです。今日は廃炉への工程表が再発表されます。
以下は某雑誌の表紙のデザインとして一月前につくった原発時事川柳スタンプです。今の事態にも有効な詠みで一月の時差が存在しないようにも思えます。とりあえず。



追加記事
産經新聞より
弥生期遺跡に巨大津波の痕跡 東北太平洋沿岸 1000年ごとに3度襲来
2011.5.16 20:31 (1/2ページ)
 仙台市にある弥生期の「沓形(くつかた)遺跡」(仙台市若林区)に、2千年前に東日本大震災と同規模の巨大津波が到達していた痕跡があることが、東北学院大学の松本秀明教授の調査で明らかになった。現在の海岸線から内陸に4キロにある遺跡の砂の層で、平安期に巨大津波が襲ったという古文書もあり、東北地方の太平洋岸には千年ごとに3度の巨大津波が襲来したことになる。

(石田征広)

 沓形遺跡は、仙台平野の太平洋沿岸を南北に走る仙台東部道路の仙台東ICのほぼ南隣に位置する。地下鉄東西線の整備に伴い、仙台市教育委員会が「水田跡の上にえたいの知れない砂の層がある」として、松本教授に調査を依頼した。

 調査の結果、約2千年前の弥生期の海岸線から内陸に2・5キロの遺跡から巨大津波に運ばれたとみられる砂の層を確認した。地形学を専門とする松本教授は、これまでも個別の地形の来歴を明らかにするため、考古学の遺跡発掘現場に足を運び、地層を調べていた。インド洋大津波に襲われたタイ・プーケット島を調査した経験から、巨大津波に運ばれた砂が堆積するメカニズムを解明していた。

 沓形遺跡の砂の層は粒ぞろいで、当時の海岸線までたどることができた。松本教授は「洪水で運ばれる砂は不ぞろいで、粒ぞろいの砂の層が当時の海岸線までたどれる。考えられるのは津波インド洋大津波でも内陸まで砂が運ばれた。津波には地層をつくる大きな力がある」と説明する。
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松本教授は4月下旬、今回の巨大津波の現地調査を実施、津波で堆積した砂の層について解析した。この結果、今回の巨大津波で堆積した砂の層は内陸に2・3〜3・0キロまで達していた。沓形遺跡は当時の海岸線から内陸に2・5キロまで到達したとみられる。松本教授は「沓形遺跡は弥生時代津波が運んだ砂の層のほぼ先端」としており、東日本大震災に匹敵する津波が起きていたことになる。

 平安期の歴史書日本三代実録」には869(貞観(じょうがん)11)年に起きた三陸沖を震源とする貞観地震(死者約千人)で巨大津波が起きたという記述がある。松本教授は貞観地震に伴う津波についても、当時の遺跡として知られる沼向遺跡(仙台市宮城野区)のデータを解析した。

 その結果、貞観地震に伴う大津波が運んだ砂の層は確認されているだけでも当時の海岸線から内陸に2・4キロに達していることが分かった。これで、沓形遺跡に痕跡のある弥生期の津波を含めると、東北の太平洋沿岸は東日本大震災を含め千年単位で3度も巨大津波に襲われたことになる。

 松本教授は「過去に仙台平野が、東日本大震災に匹敵する巨大津波に2度襲われたことを知っていたとしても、それがまさか今(こん)日(にち)来るとは…。しかし、現実に起きてしまった。過去の災害に学んだ津波防災策を期待したい」と話している。