福島第1原発:避難の男性、失明の危機 思うは故郷の風景
毎日新聞 2011年11月5日 13時09分(最終更新 11月5日 13時49分)
糖尿病の合併症などで目と耳が不自由な田中信男さん。故郷の双葉町の方角をじっと見つめながら、戻れる日が来ることを願っている=福島県郡山市で2011年11月4日午後、石井諭撮影
秋晴れの午後。福島県郡山市の仮設住宅で、田中信男さん(68)は庭のベンチに腰を下ろし、東の空をぼんやりと眺めていた。「空を見ていると、なぜか落ち着くんだよ」。視線の先には、故郷の双葉町がある。町には東京電力福島第1原発があり、自宅は同原発から西に約7キロ。先の見通せない避難生活が続き、望郷の思いは日々募る。いつしか、こうして時間を過ごすのが日課になった。【鳥井真平】
田中さんは小学校入学時に右耳の聴力を失った。双葉町では、大工やタクシー運転手として生計を立ててきた。08年に、糖尿病の合併症で視力が落ちた両目を手術したが、医師には「いつ失明するか分からない」と告げられている。今年2月には突然、左耳もかすかに聞こえる程度まで聴力が落ちてしまった。
3月11日。自宅の居間で妻(68)とテレビを見ていると、突然大きな揺れに襲われた。「家がつぶれる」。とっさに妻と外へ飛び出た。「避難してください」と呼びかける防災無線は、田中さんには聞こえなかった。妻に手を引かれて町を逃れ、長い避難生活が始まった。
8月下旬までは、双葉町民が集団避難した埼玉県加須市の旧高校で生活した。部屋は4階の一室。階段の上り下りと、慣れない関東の夏の暑さが体にこたえた。
「福島に帰らねえか」。妻に切り出した。警戒区域(原発から半径20キロ圏)の中にある自宅に戻れないのは分かっていた。
それでも、生まれ育った福島で暮らしたかった。何より「いつ目が見えなくなるか分からない。故郷をこの目に焼き付けておきたい」という思いが強かった。
郡山市の仮設住宅に移って2カ月がたった。避難所の集団生活から解放され、大きな不満はない。毎日、約6キロの散歩も楽しんでいる。しかし、「他にやることがなくて、退屈なんだよ」と話し、田中さんは再び故郷の方角の空に目をやった。
第1原発の廃炉には30年以上かかると伝えられ、住民がいつ帰還できるかもまだ分からない。
「20年も30年も待っていられない。そんなに時間はねえんだ。福島の人間は我慢して死ねってことか」。田中さんはそうつぶやいて、小さく震えた。