Art Site Horikawa-I

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時差ニュース(8月7日)

広島原爆の当日の証言です。青空であった事が語られています。
非核願い 語るヒロシマ

自らの被爆体験を語る永原名誉教授(左京区で)
 広島が65回目の原爆忌を迎えた6日、府内でも平和の集いなどの催しがあり、多くの人々が原爆の犠牲者を追悼し、戦争のない世界や核廃絶を願った。

 左京区の檀王法林寺では、「第52回原爆犠牲者・戦争犠牲者追悼 京都平和の集い」が開かれた。約30人の市民らが参加し、午前8時15分、鐘がつかれる中、全員で黙とうをささげた。その後、京都被爆者懇談会世話人代表の永原誠・立命館大名誉教授が「私の被爆体験」と題して講演した。

 永原名誉教授は高校時代、広島市で爆心地から約2・5キロ離れた場所で被爆した。校舎が爆風などを和らげてくれたため助かったといい、「とてもいい天気で青かった空が一転、急に燃え、異様な色に染まった。爆風の後の街の光景になすすべもなくぼう然とした」などと当時を振り返った。

 爆心地に、より近い場所にいた父と母、妹は原爆で死亡し、弟はどうにか命は助かったものの放射線の影響で失明に近い状態となる後遺症を負った。

 永原名誉教授は「核兵器のない世界に向けた動きが進んではいるが、依然として地球上に数万発という核兵器が残されている。原爆を唯一使われた国として、日本はイニシアチブ(主導権)を発揮する使命がある」と語りかけた。

 また、戦争をテーマにした映画「対馬丸―さようなら沖縄」の上映や、紙芝居「おばあちゃんの人形」の読み聞かせがあった。

(2010年8月7日 読売新聞)