Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1972年の10月頃その2(初めての個展の少し前)

 1971年の前山の現代展の出品作品の撤去の騒動以降、GUNのグループ活動は停止状態であった。私は絵はがきのメールアートを発信するも閉鎖的な世界にあった。そんな中、新しいメンバーとなった佐藤秀治さんが活発に。1972年の3月に「雪女郎撮影会」というイベントを行った。私は、悩める日々ばかりであったが教育実践に傾注し,また飛躍を期して個展へと動き出していた。
その私の個展の直前の集会メモである。新しいメンバーを求めて、グループの活動の可能性を探ったのである。1972年10月29日 11:00〜の集会メモ。参加者は佐藤、前山、関根、堀川、北村、北条茂である。会場がどこであったかは記録にないが長岡と推察される。発言の中にそれぞれの置かれていた状況が伺える。

はじめに

堀川    
今までのことを水に流しても、この今の人間関係の中から出発したい

佐藤    
GUNのあいまいさ。一人では雪女郎、夜蛾の舞いなどを表現してきたがそれは個別的なものであって、地方との関係、地方文化との関係では疑問で不明確。個としてではなく、グループで何かやれそう
「美術の表現」→可能性を探ることに中心があるようである。
何も縛られない、自由な発想、欲求に支えられていた。前山氏とは違う。
北村    
GUNのこと、いままで色々なことを知っているが、よく分からない。自分では絵を描いているが、それ自体を問い直す必要を感じ、今日その問いの一環として参加した
関根    
GUNとして集ったのは2回目。このメンバーとは良く合う。教育労働運動研究会、伝習館闘争支援などと関わって、いろいろ見えてきた。
GUNの内実、色々な情報(機関誌、新聞)で分かっているが、やりたいことは分かる。表現をとりまく情況も分かる。それで、何かやりたい。やれそうである。明確な方向でやりたい。美術を考えると美術でしかない。狭い。体験的に思考し、例えば話し合う中から何かつかみ取っていきたい。
北条    
社会的問題意識はぬぐい去れない。個人として、詩を配ったり、若い連中と話し合ったりしているが、集団としてやらなければだめと思う。今何をやっているか。→昔のアカみたいなものを体験的に取り払っている状態である。抑圧された感覚ではなく、抑圧される前の感覚を取り戻す。体験的に取り払っていく。
前山 
今までのGUNの総括をきちんとしなければならないと考える。今のブランク状態はGUNが美術状況と密接不可分にあったということである。美術に問題が、というより自分の生きることそのもの(教師、労働運動)が抑圧されていると言うことに眼が向いている。美術をやること→一部のものにしかならないんじゃないか。ものをつくるんではない。自己の問い詰めは表現の出発点だが、それが深化されるのは社会関係の中でしか生きない。状況との緊張関係がなければ怠惰しかない。

美術への問題
堀川   
自分のやりたいことをやる。教育実践、労働運動、個展でも一つの方向を目指す。グループとしてやれればそれも良い。
北条   
個としてどう生きるかが全ての出発点であろう。自分を取り巻く抑圧からどう自分を解放するか。
前山   
表現を考えるとき、自分にとっての欲求、必然性を問い詰めることから他の欲求、問題も引き出せるだろう。

北条  
生きるための遊びが昔あった。
前山  
感性の解放が不可欠である。歴史は闘争の歴史である。緑色革命の芽を大事にしている。
佐藤  
GUNは個としてしか成立しない。美術は表現の形である。
堀川 
GUNの実体をつくっていく。

具体的に何をやるか。やりたいと思うか
北条  
ある集団で共同生活。土地を確保。生活基盤をつくる。自給自足。子どもを皆のものに。原始共同体。自分の中に作り上げられている内的な制度を体験的に検証し直す。個人として、町へ出て、自分の考えを人に伝える。ポスターという表現形式でやっていきたい。意識の問題が中核。新しい村をつくる。

佐藤  
取り立てて美術をやる気がしない。雪の上のハプニングみたいなことをやりたい。遊びでもかまわない。GUNを情報交換の場から飛躍させる。人間の優しさを持って。Play, 末永蒼生、長野の松澤さん一派も面白いと思う。これが全てだと思うのではなく、色々と自分の興味の側面がある。面白くて共同体験可能なものはやっていきたい。念想、念写、テレパシー。例えば、雪女郎のたたりを信じ、現実に当てはめる。テレパシー交感。それをどう生活の中に、集団の中に表現形態として入れていくか。Mail  Art Event 等である。

前山  
現実の生活を除いた発言は意味がない。それは個人趣味である。社会変革をしていく。労働者の団結。
美術を考えると、感性を何かのきっかけで解放したい。個からグループへと考えたい。
感性を共有する基盤、情報交換の場をつくりたい。
グループとして、外に開いていく、「俺達のものだ。というものを」出したい。長野一派を粉砕せねばならない。長野一派とは敵対関係である。

北村  
個人的には、油絵、版画、立体をやっていきたい。表現とはどういうことか問いつめたい。グループとしてはスケールの大きいことをやってみたい。(雪のイベントのようなこと)
関根  
自分が何をやりたいか、さっぱりわからん。自分でぐっとしびれるようなものを掴めない状態。である自分の敵がはっきりしない。現状不満である。美術の中で変革することにもあまり興味がない。色々な活動の中で掴み取りたい。

堀川  
土着したい。車を持ち、結婚し、安定したい。美術表現で色々な可能性を追求したい。でかいイベントをやる。新聞発行、雑誌編集、分厚い本をつくる。時と場に応じていろいろな闘いをやっていきたい。
まとめ 

佐藤  
グループとしては一つにしぼれない。方向性としては、具体的にグループとして始めることから。これまでを総括して大衆的に配る。

北条  
海岸のゴミを県庁に送る。自転車(自動車ではない)に乗る。自分たちの空間をつくる。(Folk Lock集会)

活動の方針
・表現形式を問わない形で、新潟を撃つこと!!
・自分にとって表現とは何か。原稿集約、11月20日まで100部、自分で印刷して提出。
・わら半紙、横書き。冊子完成後に討論する集会を持つ。                    (文責 堀川紀夫)

本日の一枚
区長の仕事の文書配りをしていて1班の班長さんの玄関にサボテンの花が咲いていた。毎年定期的に咲く花ではないようです。思わずパチリと撮影してしまいました。