東北関東大震災を受け止めて
東北関東大震災を受け、私の残りの人生をどう生きて行ったら良いかを考えていきたい。
21世紀を迎えて、当初は20世紀とは違う平和安寧な世界が来るのではと期待していた。しかし、2001年の9/11やスマトラ島沖地震、四川省地震、中越地震、中越沖地震等内外での自然大災害の多発。そして、この未曾有の大惨事である。
私の住んでいる所は日本海側の上越市。先日も書いたがまだ予断を許さない福島第一原発の位置から250kmくらいの距離である。現在首都圏に住む娘と孫は避難して来ているが、日常の生活に特別な不便はない。
何度も書くが、今、思う事は大震災の復興支援に役立ちたい。今動き出している全ての支援活動に加わって息の長い支援活動していきたいと思う。
私は9/11を受けて2006年からBlue Sky Projectという平和表現の展覧会を組織して来た。そして、5回の連続開催をもって昨年ひとつの締めくくりとした。沢山の内外の作家の参加を得たことは、本当に有り難い事した。今年は実体的な展覧会ではなくお金のかからないNetでの展開を考えていたが、そのままのコンセプトでは継続できないといま思っている。
戦争美術、戦争デザイン、武器のデザイン、原発や原子爆弾のデザインというジャンルはあるが、今の私の美術表現の基盤は安寧な生活にある。安寧な生活が無ければ、まず安寧を求めて食や住の確保をしなければならない。今は心の基盤をどう整備し直していくかである。
今65歳になった。今月末までに介護保険料を納めなければならなくなっている。人間だから何時かは死なねばならないが、自分の予想よりすでに長く生きている。
福島第一原発が最悪の事態になって放射能にやられても、残された寿命と大差ない年齢となっている。子供や孫には生き延びてもらいたいのは当たり前である。されど命は惜しむな名をこそ惜しめである。この3.11以降の脱原発・非原発東北関東震災支援の時代を迎えて死ぬまでの人生をそれなりに充実させたいと思う訳である。
これだけの甚大な自然災害は恐竜達が絶滅した巨大隕石の衝突以来かもしれない。心の支えになるものは無いに等しいが、シンパの一人として良寛さんの言葉をとりあえずの支えにしたい。
栗田勇「良寛入門」NON・BOOKより
私は三条市に勤務した事がある。この五十嵐川堤の碑は私の学校の校区にあった。(この五十嵐川は2004.7.13に氾濫し大水害を起こしました。その年の10.23に中越地震も起こりました。)