毎日新聞の新井満さんの記事を掲載させていただきます。新井さんは私が主宰した2008年の第3回のBlue Sky Project展に参加してくださった方です。この詩に「青い空」が歌われています。Blue Sky Projectを支えて来たコンセプトがこの度の大震災で強引に上書きされましたが、新井さんの詩によりまたよみがえって来て今年も継続できるように感じます。その意味を新井さんには後日お手紙します。この記事を見つけて本当に良かったです。
あらい・まん 1946年新潟市生まれ。作家、作詞・作曲家、写真家。電通在籍中の88年に「尋ね人の時間」で芥川賞。「自由訳 良寛さんの愛語」など著書多数。自ら邦訳・作曲した「千の風になって」は多くの歌手にカバーされた。=大西達也撮影
がれきと化した街、制御できない原発。この過酷な現実の前では言葉はむなしい。それでも人は希望の詩を口ずさむ。「千の風になって」などで知られる作家の新井満さん(64)が、東日本大震災で被災した人々に向けて一編を書き、夕刊編集部に寄せた。「雲の上の青い空」。そこには、少年時代の地震体験で知った「癒やしとしての芸術表現」への信頼が込められている。【山寺香】
◇希望乗せ、言葉は「心のパン」となる
3・11から間もないころ。「被災者を励ます詩を」と依頼した私たちを、新井さんは静かにたしなめた。
「被災者は今、悲しみのどん底にいます。私にはかける言葉はありません。詩は無力です。私にできるのは彼らと手を取り合ってただ泣くことだけでしょう」と。
やがて巨大な被害の全体像が明らかになり、原発事故の行方に一喜一憂させられながら時は過ぎた。
震災発生から1カ月の11日。再び電話をかけると、作家は「今朝、できたばかりの詩があります」と告げた。「そろそろ言葉の力が必要な時期がやってくるのではないかと思いまして」
新井満さんの直筆の詩(下)。写真は残ったままの歩道橋=宮城県気仙沼市で5日、幾島健太郎撮影
新井さんは高校3年生だった1964年、死者26人を出した新潟地震に遭遇した。川を逆流する津波が橋を壊し、地面が割れ、原油タンク群が爆発炎上した。「一生分の恐怖を味わいました」。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、大学を休学して1年間、実家で療養せざるをえなかった。
絶望しそうになったとき、新井さんは坂口安吾の碑がある新潟海岸に立ち、佐渡島の向こうに沈んでいく美しい夕日を眺めた。そして、石川啄木の「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」という詩を繰り返し読んだ。
「いちばん苦しい時に人の心を癒やすものは、大自然の美しさと芸術表現の感動ではないか」。新井さんは語る。それらは車の両輪のように、どちらが欠けても足りない。
そして今。発生直後は一日一日を生きることに必死だったが、時とともに「自分だけが生き残ってしまった」「これから先、どう生きれば……」などと罪悪感や絶望にさいなまれる被災者は多い。「だからこそ、希望という心のパンが必要になる」
この詩によって伝えたいのは「イマジネーションを膨らませることの大切さ」だ。雲の下にあるのは悲しみ、苦しみ、いらだち。そこは灰色の世界だ。だが、雲の上には青い空がある。被災者を優しくいたわる風が吹き渡っている。
「詩をつぶやくことによって、たとえ一瞬でも憂いを和らげられたら」。そのために新井さんは詩を届ける。
詩は、精神の命を救う「心のパン」だから。