Art Site Horikawa-I

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原発問題(5月11日)

1.asahicomより
「2時間はあっという間」 住民ら初の一時帰宅

2011年5月10日23時9分
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一時帰宅し、運び出すものを探す住民=10日午後0時38分、福島県川内村、代表撮影

一時帰宅し、運び出すものをポリ袋に入れる住民=10日午後1時22分、福島県川内村、代表撮影

 東京電力福島第一原子力発電所から半径20キロ以内の「警戒区域」内で10日朝から初めて実施された住民の一時帰宅は同日夕、終了した。福島県川内村の54世帯、計92人が放射性物質の付着を防ぐための防護服を着込み、それぞれの家に約2時間滞在。大切な物を持ち帰るなどした。警戒区域にかかっている他の8市町村も順次、実施する。

 この日帰宅したのは21〜85歳の住民。夫と参加した吉岡ヒデ子さん(63)は震災翌日の3月12日以来の帰宅となった。「冷蔵庫の中のものを捨てるので精いっぱい。2時間はあっという間でした」と話した。

 帰宅を終えた住民はバスで警戒区域外の中継基地に戻り、放射線量を測るスクリーニングを受けた。放射性物質を落とす「除染」が必要な人はいなかった。女性3人が気分の悪さを訴え、医師の診察を受けたが、すぐ快復したという。

 この日の行程は予定より約1時間遅れた。出発前の説明会で住民から質問が相次いだのと、自宅から戻る住民をバスに乗せていく時間が予想よりかかったためという。

 住民からは、防護服が暑いとの声が出た。国の現地対策本部の上田英志審議官は「これから暑い時期になった時、もう少し軽装にできないか検討している」と述べた


2.JIJICOMより
ルポ〕事故から25年、チェルノブイリは今
1/5〜3/5
「石棺」付近で強い放射線
チェルノブイリ原子力発電所4号機の「石棺」

 史上最悪の放射能漏れを起こした1986年4月26日の旧ソ連チェルノブイリ原発事故から25年。ウクライナ政府は「負の遺産」のイメージ転換を探り始めたが、原発周辺の放射能汚染は依然深刻で、強制立ち退きとなった住民11万人以上が帰還できる見通しは立っていない。ウクライナ政府のプレスツアーで3月末、同原発を訪れ、現状を探った。
(モスクワ支局長 奥山昌志)

 炉心溶融事故が起きた原発4号機。コンクリート製の「石棺」で覆われているが、近づくと放射線量計が毎時5.24マイクロシーベルトを表示し、「ピッピー」と警告音が鳴り続けた。通常の50倍を超える放射線量だ。

放射線量と人体への影響
 「石棺内部には溶解した核燃料が約180トン残っているが、放射能が外部に漏れないよう新たなシェルターを建設する国際プロジェクトが開始された」。原発の周囲30キロの立ち入り規制区域管理局のハロシャ局長は記者団との会見でこう強調した。

 
事故直後に建設された石棺は老朽化が進んでおり、放射能漏れの懸念がある。このため、欧州連合(EU)や日本などの支援で新シェルター建設が計画され、昨年から基礎工事が始まった
住民帰還の見通し不明
荒れ果てる家屋

 ただ、建設費15億4000万ユーロ(約1830億円)に対し、拠出額が6億ユーロ不足しているため、ウクライナ政府は今月19日に国際会議を開き、追加支援を求める。新シェルターは100年の耐久性を持つとされ、完成すれば安全性向上に役立つと期待される。

 しかし、近い将来、立ち入り規制区域内に住民が帰還するのは困難とみられている。原発職員ら約5万人が住んでいた原発近郊の町プリピャチでは無人のアパートや学校、レストラン、商店などが荒れ果てるままに放置されていた。

 コンクリートアスファルトの割れ目に盛り上がるコケに線量計をかざすと、毎時2マイクロシーベルトを超え、土壌の放射能汚染をうかがわせた。

チェルノブイリ地図

 避難先になじめず、居住禁止を無視して自宅に舞い戻った少数の老人らの存在は政府も黙認しているが、ハロシャ局長は「半減期の長い放射能の除染は難しい。地元の野菜や果物、キノコなどを食べるのは危険で、果たして帰還がいいことなのか慎重に考えなければならない」と述べた。
負の遺産」利用に批判も
1986年4月26日、史上最悪の原発事故が起きたチェルノブイリ原発4号機建屋
 その一方で、事故から25年を迎え、ウクライナ政府は原発への「観光ツアー」の解禁で、「負の遺産」を観光資源として利用する道を探り始めた。

 ウクライナ非常事態省は、所定の手続きを取れば、研究者やメディア関係者だけでなく、観光客にも原発訪問を許可している。専門ガイドのユーリー・タタルチュクさん(38)は「今年は事故25周年や福島原発事故チェルノブイリへの関心が高まり、訪問者が増えた。1日で8グループが訪問したこともある」と話した。

 しかし、こうした動きを批判する声も根強い。チェルノブイリ原発の元技術者で、大量被ばくで障害者認定を受けたアナトリー・コリャジンさん(61)は「事故原発をビジネスに利用して潤うのは一部の政府関係者らだけ。政府は被ばく障害者への医療支援の支出を制限しており、必要な手術が受けられないケースが増えている」と指摘している。

◇〔用語解説〕チェルノブイリ原発事故



国際原子力事故評価尺度
チェルノブイリと福島は「レベル7」
スリーマイルは「レベル5」と評価された
 1986年4月26日未明、旧ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号機で運転試験中、炉心溶融と爆発が起き、大気中に大量の放射性物質が放出された史上最悪の原発事故。

 当時のソ連政府が発表した死者数は消防士ら33人だが、大量に被ばくした事故処理作業員らが多数死亡。子供の甲状腺がん多発など深刻な健康被害ももたらしたとされる。

 原発の周囲30キロ圏では住民約12万人が強制立ち退きとなり、現在も立ち入り規制が敷かれている。


3.一時帰宅に同意書「役人仕事だ」と住民反発
読売新聞 5月11日(水)0時25分配信
 福島県川内村へ10日に一時帰宅した住民に対し、国側が「警戒区域が危険であることを十分認識し、自己の責任において立ち入ります」などとする同意書に署名を求めた。

 一部の住民から反発の声があがり、遠藤雄幸村長も「同意したうえで一時帰宅するのだから、改めて署名を取る必要はない。役人仕事でやめたほうがいい」と批判した。

 原子力災害現地対策本部長の池田元久・経済産業副大臣は報道陣に対し、「(警戒区域内では)責任を持って安全に気をつけて行動してもらいたいとの趣旨だった」と説明した。
最終更新:5月11日(水)0時25分