Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

大震災関連

東日本大震災:「土の波」も集落や人のみ込む 地滑りなど
毎日新聞 2011年11月7日 21時46分(最終更新 11月8日 1時18分)

現場に立つ消防団長の辺見さん。家々をのみ込んだ土砂がいまだに残る=2011年10月14日、安高晋撮影
福島県白河市葉ノ木平の地滑り現場=2011年3月14日(国土交通省提供)

福島県白河市葉ノ木平の位置
 「土の波」も集落や人々をのみ込んだ。東日本大震災では、揺れによる崖崩れなどの土砂災害も全国で112件起き、死者は19人に上った。このうち13人は福島県白河市葉ノ木平で起きた地滑りによる死者だった。沿岸部の津波被害に隠れ、実態はあまり知られていない。関係者は「風化させず教訓を伝えなければ」と決意する。【安高晋】

 中通り地方(県中央部)に位置する白河市。市街地から北東約1キロの葉ノ木平には、山あいながら新しい家々も並ぶ。

 3月11日。揺れから40秒後の異変だった。経営する食堂を地震直後に飛び出して自宅前の垣根につかまっていた渡辺敏勝さん(58)は、「ゴーッ」というごう音とともに崩れ落ちる山肌を目撃し、その場に立ちすくんだ。その先は見えなかったが「バリバリ」という音が続く。家々がなぎ倒されていると直感し、惨事を覚悟した。

 揺れが収まってから、約50メートル離れた現場に向かった。10軒ほどあったはずの住宅地は土砂の山に埋まっていた。物音一つしない。土煙なのか、なぎ倒された杉の花粉なのか、周囲はかすんでいた。土砂は住宅地を挟み反対側の山の際にぶつかってようやく止まっていた。

 ◇なぜここが
 40メートルの高さから襲った地滑りは、山の中腹にあった杉の木々を巻き込みながら、幅130メートルの土の波となって家々を襲った。住宅地に流れ込んだ土砂の高さは6メートル、量は200リットル入りドラム缶20万本分に相当する4万立方メートルに及んだ。

 発生1時間後に駆け付けた白河市消防団長の辺見友雄さん(63)は、全員が見つかる23日まで現場に残り、指揮を続けた。土砂の間からわずかに見える家々は圧縮され、人力で掘り出すのは難しい。不明者を傷付けないよう通常の3〜4倍の時間をかけ、重機で少しずつ掘り進めた。「早く助けてくれ」。生存を信じる家族の願いが胸に迫った。最初の遺体発見は地震発生2日後の13日。手をつなぎ、折り重なるように倒れていた23歳と19歳の姉妹だった。

 現場は国道4号と市街地を結ぶ近道にあり、辺見さんもよく行き来していた。今も疑問に思う。「山は高くもなく緩やか。どうしてあそこが崩れたのか」

 県はこの一帯を、勾配や過去の崩落の形跡を基に決める「土砂災害危険箇所」には設定していなかった。県の県南建設事務所は、地質と想像以上のエネルギーが重なって起きたと分析する。「固い粘土層の上に、十分に締め固められていない火山灰が降り積もったローム層が載る地形だった。強烈な揺れでバラバラになったローム層が、粘土層を滑り台のようにして落ちていった」。今年度末までに、のり面の補強工事を完成させるという。

 ◇忘れないで
 周辺9市町村で構成する消防本部。沿岸部で津波被害の情報が次々と入ってきていた。「これだけの震災。地元でやるしかない」。管外からの応援は断念した。1日に10台前後の重機を投入し、救出に取り組んだ。白河消防署の中隊長、富永勝治さん(56)は言う。「次世代に語り継ぐ。それはあの現場に立ち会った自分たちの責任だ」

 地滑りから13日目、最後に見つかった川本マツ子さん(77)。自宅から約1キロ離れた現場までの散歩が日課だった。「雨が降りそうだから」といつもより早く出て、地滑りに巻き込まれた。「何が起きたか今でも分かっていないのでは。津波よりあっという間だったと思う」。長女は振り返り、願う。「これだけの大災害がここであった。それを忘れないでほしい」