Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

雪アートのコンセプト−1

今年の大地の芸術祭で「ギャラリー湯山の家」が立ち上がります。その一弾として、「雪アート」を展示することになりました。作家名は前山忠・堀川紀夫です。
この2人の作品と2008年冬からの新潟ユニットによる雪アートも展示されます。
新潟の雪とアートの関わりについて私見です。
新潟現代美術家集団GUNの「雪のイメージを変えるイベント」は1970年で前衛アートが雪に挑んだ形でした。その後1980年に入って堀川紀夫がSnow Performanceを現代美術の追究として雪上での自演自写作品を展開。そして「雪アート」が使われ始めたのが2008年2月の中里でのイベントからです。いまは雪アートというジャンルが成立しているという流れです。今回の展示のコンセプトは世界に新潟のオリジナルアートとして雪アートをアピールする事と言ってよいです。
夏場に雪アートの展示という事で改めて雪について考えています。見に来る人に半年離れた季節のアートを感じてもらうための作品であり、その展示の工夫をどうするかを考えています。
1980年に入って雪原に自分の身体を投げ出してその形象を写真に撮って作品を生成させた頃、良寛に出会いました。良寛の雪の歌に出会いました。このことは何度かこのブログに書いています。
今回の考察で、私の高田高校時代の恩師である饒村楓石(義治)先生の雪をテーマにされた沢山の俳句に出会いました。
以下コピペです。

饒村先生の『楓石句集』が出版されました

「朝日俳壇」に入選した饒村先生の名句のみを集めた句集が出版されました。

 若き日の饒村楓石(義治)先生は、法政大学教授谷川徹三門下の学究であるとともに山をこよなく愛する日本山岳会会員でもありました。先生は昭和23年高田高校に着任するや戦時中絶えていた妙高全校登山復活の音頭を取り、登山部・新聞部の顧問として新制高校の揺籃期に大きな足跡を残されました。
 その後不幸にして股関節の傷害から山歩きを禁じられた先生は俳句の道に転進されました。目標は新聞俳壇の雄朝日俳壇に入選すること。昭和38年2月の「一巻の雪嶺絵巻大玻璃戸」を皮切りに入選を重ねて、米寿を迎えた平成16年夏までに370句を越え、その後も常連として毎月入選を続けておられます。
 ことに近年はベッドに寝たきりの不自由な生活にもかかわらず、夫人の介護と軽口毒舌取り混ぜた夫婦ならではの会話に支えられて、投句を日課とするお姿は感嘆のほかありません。まさに俳句あっての人生、人生あっての俳句と言えるでしょう。
 この度高田高校時代の教え子有志相語らって、先生の朝日俳壇、毎日俳壇全入選作に掲載月日、選者名を付した句集を刊行することといたしました。この句集が先生のよき米寿記念となり、新聞俳壇を目指す方々の励ましともなればこれに勝る喜びはありません。
平成17年吉日 楓石句集刊行会 
http://www.takada.gr.jp/archive(past_articles)/img/Fuseki.pdf
(高田高校の同窓会のページが出ますので過去の記事に飛んでください)

二句引用(日付は朝日歌壇掲載日)
雪国を捨てず雪解けある限り S58,3,6
雪国を讃え雪国より知らず S59,2,26