前山忠−6
1969年に入って、前山さんは鏡を使う作品からの表現の転換を図り、バネに着目し、大きなバネをつくるため東京の業者に発注。また、家の近くから魚沼市へ転勤します。
前山さんはバネの作品で、ジャパンアートフェスティバル(4月)と第9回現代日本美術展(5月)に、そして次はメジャーを使った第一回現代国際彫刻展(箱根の森美術館)と連続入選。
その時期のテキスト「<見えない>を見せること」を掲載します。
1968年の終わりには、関根伸夫さんの「位相・大地」が生まれ、また美術手帖では次々と新しいアートの動向を伝え、本当に激動の時代で、そこには新しい世界が生成するような夢がありました。
この第9回現代日本美術展(5月)で高松次郎「布の弛み」、関根伸夫「空相・水」、李禹煥の「物と言葉」、小池一誠「石」などの、この時代を語る名作が出品されています。
この時期の論文で記憶の残るショックものにデザイン批評NO.8 1969.1でのアラン・ジュフロウの「芸術の廃棄」(峯村敏明訳)がありました。