Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

前山忠−7

新潟現代美術家集団GUNは椿近代画廊での展示の後、個々の表現の可能性とレベルアップを追求して行こうということで進んでいました。
前山さんは1969年の7月の第一回現代国際彫刻展(箱根の森美術館)の後、「美術という幻想の終焉」展に出品します。そこで松沢宥さんとの交流が始まり、翌年8月のニルヴァーナ展へとつながって行きます。
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090419
私はこの年の7月21日に「石を送るメールアート」Shinano River Planを開始。BTの李禹煥論文に写真入で取り上げられるなど評判をとります。その後、稲憲一郎、竹田潔さんらと意気投合し精神生理学研究所に参加します。精神生理学研究所の活動で「ニクソン大統領に地球の石を送る」などで新聞の全国版に出たり、またGUNの「雪のイメージを変えるイベント」(1970年2月)も大成功。そんな大当たりの最後にへき地校への転勤、そして東京ビエンナーレ(1970年5月)の舞台が待っていました。この頃の私のことは、既にブログの最初の頃に書いています。カテゴライズしていないので探しにくいですが、始めの頃です。
1970年の8月に前山、佐藤秀治さんと3人でニルヴァーナ展の集会に参加、その後大阪万博を見て、また中学校教師の日常に戻ります。前山さんのニルヴァーナ展出品作はニルヴァーナ展の事務局に向けて出した4〜5通の手紙自体をを作品にした優れものでした。前山さんの記録・資料にあればもう一度見てみたいと思います。
ニルヴァーナ展後のBT1970年12月号の行為の芸術特集での前山忠論文です。



この論文以後の時期に「小西反軍闘争」に関わって行き、新潟でデモに参加するようになります。私も数度デモに参加し、写真を撮ったりしました。当時の新左翼の考え方から影響を受け政治活動や社会改革をも射程に捉えた新たな表現論を獲得していきます。