Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

前山忠−8

1970年8月のニルヴァーナ展、万博見学以降は仲間相互でメールアートを盛んに交換した。残っているその記録を見て、アートというよりは内向きの郵送ゲームと言ってよいようなものだったと振り返っている。その1970年末頃の関心は新潟地裁で裁判が始まった「小西反軍闘争」に移った。人類の進歩と調和などのうたい文句とは別の現実がありベトナム戦争沖縄返還闘争、公害問題など世の中が騒がしかった。そんな中で「小西反軍闘争勝利」を掲げる集会やデモに参加。新左翼系の新聞とかビラがとても新鮮に見え、それに倣ってGUNの発言誌を発行しようということになった。その頃に針生一郎企画の「言葉とイメージ」展への参加要請があり、前山さんは「反戦ポスター」と「反戦ステッカー」で私は「零円切手」を発言誌とともに出品。そして、前山さんは現代日本美術展へ招待へ。しかし、会期の途中で作品を撤去してしまうことに。そのことについて2001年発行の「富山県立近代美術館問題 裁かれた天皇コラージュ 全記録」(桂書房)の129pに前山さん自身が概要を書いている。
その年の何月だったか?ですが北川フラムさんらが動きだし、その使者の新潟日報の女記者に会って新潟で10月にジャズ・ロックカーニバル「新潟/神無月」をやるので協力してくれということで、ポスターとチケットをデザイン=印刷を担当っすることに。今につながる北川さんとの付き合いの第一歩に位置付いている。
記録としてチケット一枚とって有りました。ポスターは品川アートでシルク印刷でした。チケットは何と言う印刷屋さんだったか忘れてしまいました。

その他に、9月に「表現、状況そして新潟」をテーマに新潟でシンポジウムがあり、参加。色々なジャンルで活動しているグループが集って突っ走った後の問い直し、展望など。
シンポジウムの記事が出て来たので追加。

この後に前山さんが新潟日報に書いています。