Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

ガンの話題

 新潟現代美術家集団GUNの堀川紀夫と前山忠は針生一郎さん企画による1971年の3月にピナール画郎の「ことばとイメージ」展に招待出品しました。その頃の新潟現代美術家集団GUNはすでに当初のメンバは離散し実質3名。「NIIGATA GUN」とグループ名を改称し、「反戦平和」など新左翼のスローガンを掲げ、その機関誌のデザインを模したような機関誌を発行するという活動方針。そんなことから前山さんは「機関誌第一号」と「反戦旗」と「反戦ステッカー」を、私は、機関誌第2号と「零円切手(佐藤栄作)」と「石を送るメールアート(地球の石とプリントしたタグ付き)」を出品しました。
 今日の毎日新聞の「ガンの話題」で思い出したのは、その機関誌第3号(文責佐藤 発行5.3付)のスローガンに赤瀬川原平さんの「桜画報(朝日ジャーナル連載)」を真似て「GUNは雁にして渡り鳥也」の一行があったこと。これは、GUNの活動で新左翼的な受け売りから脱却して、3人3様の間尺に合ったことばを探し求めていたことの一つの証しのように思われます。

 この機関誌作品はその年の5月の前山さんの現代日本美術展への出品作品である「反戦、反帝、反軍」の3つの赤い旗と「カンパ箱作品」などの一環として発行された第4号で廃刊という結末でした。
 ちなみに前山さんの現代日本美術展への一連の出品作品の一部の『カンパ箱」が都美術館当局により「撤去」されました。前山さんは、そのことに抗議として一連の作品全体を撤去してしまい、その作品は約一週間のみ展示されたものとなって記憶と記録写真に刻まれています。
<マガン>シベリアへの旅中継地・北海道美唄市宮島沼
毎日新聞 4月30日(水)19時41分配信

沈む夕日を背に、ねぐらの宮島沼に舞い戻ってきたマガン=北海道美唄市宮島沼で、手塚耕一郎撮影
 空があかね色に変わる夕暮れ時、「クアクア」と鳴き声を響かせ、どこからともなくマガンの群れが集まってきた。V字編隊で飛来してきたマガンは、ねぐらにしている沼の上空で並びを崩し、木の葉が落ちるように次々と水面に舞い降りた。

 北海道美唄市宮島沼は道内最大のマガン中継地として知られる。夏にシベリアで産卵し、子育てをしたマガンは越冬地の宮城県などに向けていったん南下した後、宮島沼に立ち寄る。

 宮島沼水鳥・湿地センターによると、今年は4月下旬に4万3000羽に達した。既に北へ向けて次々と飛び立っており、あと10日ほどでほとんどが姿を消しそうだという。【手塚耕一郎】