大島画郎個展に寄せて
3日からの大島画廊個展に寄せて、が出来たので掲載します。
個展に寄せて
大島画郎での個展は1972年以来です。個展をすることに至った動機付けが幾つかあります。
今年は大島画郎が創設100周年という。私が大島画郎で画材を買い求めるようになって50年以上。そして今年は高田城開府400年。北陸新幹線が開通する前年。私の年齢は来年度に70歳の古希。晩年に入り、そろそろ「地元を重視した活動を展開すべき」と考えるようになっていました。
また、数年前に大学時代の同級生A君が逝去したことをきっかけに、長野県に住む同級生の大池幸一郎さんとの交流が年に数回のペースで再開され、彼に大学時代に贈ったF10号作品が「今後の展覧会に展示すべき」と帰って来ました。この作品は1966年の大島画郎での「5人展」に出品したものでした。
そんな成り行きが心を動かし、昨年の松之山のギャラリー湯山での個展の期間中に、やるなら「来年でしょう」と心に決めた次第です。
大島画郎での個展は42年ぶりです。これまで東京、富山、新潟、見附、松之山などで個展やグループ展を開催、出品してきました。地元では実験的な作風を展示するにしがらみを感じ、基本的に避けて来ました。その意味で、今回は新作も含め様々な過去の作品を多数展示しています。
高校の美術クラブ活動から始まった高田市展、糸魚川市展、新潟県展などへの出品は作家活動への助走でした。当時全国で唯一の長岡現代美術館の存在は世界の現代美術に目を開かせてくれました。1967年の新潟現代美術家集団GUNの結成に参加して以降、前衛表現を目指して美術教師と両輪で本格的な作家活動を展開し始めました。以後、独学の限界や「あちらが忙しければこちらが立たず」で停滞した時期も多々ありましたが、出会った人々からの教示を受け止め、美術科の題材開発研究をも含め、その時宜の新たな考え方をキーワードに表現活動を継続・追究して来ました。
その過程で生み出した作品の中には全国的、世界的な発表の機会を与えられたもの、国公立や外国の美術館に収蔵されたものも幾つかあり、私の生きた証しとなっています。
2000年に十日町・妻有地域で「大地の芸術祭」が始まり、出品の機会を与えられたことが絵画に傾いていた当時の頭脳に風穴を明ける強い刺激となり、また新たなアートの可能性へ挑戦する意欲が生まれて来ました。2008年から始まった中里や松代での冬の厳しい自然を相手とする「雪アート」への参加も、表現の幅を広げてくれています。
現在は「意味生成」と「行動・気付き・受容」を念頭において、汎素材、汎テーマで領域や形式、メディアを自由に行き交うような活動を展開し楽しい境地に至っています。
本展では参加型のプロジェクトや東日本大震災復興支援を目的としたささやかなチャリティコーナーも設けています。ご高覧を宜しくお願いいたします。
2014.05.03 堀川紀夫
この個展で、1965年に初めて描いた抽象的な水彩スケッチF6号3点を展示することにしました。これまでに未発表の作品です。県展に初出品しようとしたF50号を描く前に描いたもので、スケッチブックに綴られたままでした。今回、スケッチブックから取り外し額装してみたら、意外と魅力的で嬉しくなっています。テーマとしてはこの世の中をイメージしたようで「戯れる群れ」ということばが残っています。