原爆関係話題
コピペ記事です。
<核廃絶>米高校生に訴え 被爆者2人、体験語る
毎日新聞 5月3日(金)20時56分配信
米高校生に核廃絶を訴える左からクリフトン・トルーマン・ダニエルさん、笹森恵子さん、シンシア・ミラーさん、李鐘根さん=米ニューヨーク市で2013年5月2日、草野和彦撮影
【ニューヨーク草野和彦】米ニューヨーク市で2日、いずれも広島市で被爆した笹森恵子(しげこ)さん(80)=カリフォルニア州在住=と在日韓国人2世の李鐘根さん(84)=広島市=が、米国の高校生らに被爆体験を語るイベントがあった。原爆投下を命じたトルーマン元米大統領の孫と、原爆製造にかかわった米技術者の娘も参加。立場を超えて、戦争の悲惨さと「核兵器のない世界」の実現を訴えた。
午前8時15分、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」から原子爆弾が投下され、広島市の7万6000戸の建物の90%以上が一瞬のうちに破壊された。
年末までの死者約15万人。生き残った市民も長く後遺症に苦しむ。
米国は日本の抗戦への意思を打ち砕くために原爆投下を決断し、9日には長崎にも投下した。
【広島に原爆投下】当時の新聞紙面
原爆投下後、広島上空に発生した原爆のキノコ雲=米国立公文書館提供
1945年8月6日 広島
爆心地から2.3キロにある、御幸橋西詰で横たわる負傷者たち=松重美人さん撮影
1945年8月6日 広島・広島
会場となった日米交流団体「ジャパン・ソサエティー」のホールは約230人の高校生で埋まった。広島に原爆が投下された1945年8月6日、当時13歳だった笹森さんは屋外で被爆し気絶。正気を取り戻すと「(皮膚が焼けただれ)赤やピンク色の人々がゆっくりと歩いていた」と英語で説明した。自身も半身にやけどを負い、終戦を知ったときは「痛みを忘れるほどうれしかった」という。
16歳で被爆した李さんも大やけどを負い、首筋にはうじ虫がわいた。ふびんに思う母から「早く死ね」と言われたことや、戦後も「在日韓国人というだけで職を失った」という差別体験を語った。
一方、米国の原爆開発「マンハッタン計画」に父が参加したシンシア・ミラーさん(67)は笹森さんらの話の後、「原爆が日本の人々に与えた痛みについて謝罪したい」とおえつした。シンシアさんによると、父親は何度も原水爆実験に立ち会い、被ばく。シンシアさん自身も長年、頭痛に悩み、骨がもろくなっていると明かした。
司会役を務めたのはトルーマン元大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(55)で昨年、広島、長崎の平和記念式典に初めて参加。面会した20人以上の被爆者から「日米が同じこと(戦争)を繰り返さないよう、私たちの話を伝え続けてほしい」と言われたことを紹介した。