Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

新しいブログへ

息子の結婚式・披露宴を終えたことで、私達の子供3人全員が第2の人生をスタートしてくれたことになります。これで、私の人生&アート活動の歩みも中締めを迎えたと考えています。
このブログを始めたのは2009年3月31日。3日坊主で終わるのではないかと言われもしましたが、その後数日間休んだだけで続けて来ることができ、本日で2606記事をカウントしました。しかし、毎年同じ話題を繰り返すことやコピペで終わらせてしまうこと、内容の拙さが多々あり、続けること中心主義で反省点も多く残されました。
いずれにしても、この中締めの意識を元に、一旦終了し、新たなブログへ移行したいと考えております。
今日のページビューには1344666とあります。沢山の皆さんに見ていただいたことに心より感謝申し上げます。このブログをご覧いただき本当にありがとうございました。新たな出発まで、しばらく時間を取りたいと考えています。
とりあえずの最後を、吉祥のイメージある画像4枚で飾らせていただきます。



息子の結婚式−5

昨日に続けて絵葉書4種類を掲載します。
妙高山頂に5月〜6月にあらわれる雪形「山の字」。妙高市の旧関山村一円から見える。

上越市南西部に位置する丸みを帯びた南葉山。標高949m。4〜5月に雪形「種まき爺さん」が現れる。

高田公園の桜木に雪の華

日本海。冬は厳しく春夏は穏やか。上越市郷津海岸で撮影。

今日で10月の終わりです。朝夕、随分と寒くなりました。昨日、少し早めですコタツを出しました。まだ電気は通さないですが、足を入れて防寒しています。

息子の結婚式−4

息子夫婦の門出の弥栄を願い、二人をこれまで育んで来た森羅万象の中から吉兆の形象を取り込んで絵葉書にデザインしました。10種類作成しました。その中の4種類を掲載します。
富士山。新幹線の三島駅辺りから取材。宝永山が正面に位置する。

妙高山は標高2,454mで越後富士の異名を持つ。北信五岳の最高峰で、かつ近隣の火打山、焼山と共に頸城三山を形成する。4月〜5月にかけて外輪山の神奈山(1,909m)の中腹に春の風物「はね馬」が現れる。

高田公園の三重櫓とソメイヨシノ。「日本三大夜桜」で知られている。

上越市夷浜海岸の突堤先端より撮影。米山の頂から昇る夏至の日の出。

息子の結婚式−3

結婚披露宴の最後にワイフにプレゼントされた花束はまさに色とりどりの花が束に組まれていました。そのカバーと束を解き、幾つかの花瓶に分けて生け直しました。翌朝には水が上がり、花は生き生きとしてきていました。今、我が家はまさに華やかです。息子夫婦の幸せを祈り、この花たちの美しさを末永くこのブログに定着させておきます。







本日はこれにて。

息子の結婚式−2

息子の結婚式の「引き出物の詩」です。やがて食されたり、呑まれたり、使用されたりして消費されるものですが、それぞれに結婚に順接するイメージやシンボルがデザインされています。それらを素直に解釈しつつ鑑賞したいと思います。
お嫁さんが高校生時代に過したことのある静岡県三島市のお菓子です。肌色系?で円形のパッケージにピンクのリボン、とても上品な色彩です。

メタリックな銀色の立方体の小さなパッケージです。正面にダイヤモンドのようにカットされた小さなハート形の飾りが付けられています。立方体(正六面体)は宇宙の尺度の基本であり、プラトンが尊重した多面体の一番目でもあります。

中身です。ハート形のクッキーが5個。縁起がいい数字ということです。

これは、息子の趣味の酒の世界につながるもので、「残草蓬莱(ざるそうほうらい)」という銘柄も意味深いですが、会社が神奈川県愛甲郡愛川町と愛の字が郡名と町名にあり、鶴と亀の絵柄がデザインされているお酒です。かなりの人気と個性ある銘柄とわかりました。酒は呑んでみて感想を書いてみたいのですが、呑んだ感想をどう書いたらよいか、酒ののどごし感の基本ワードを少し身につけたいものです。
調べてみましたら「残草(ざるそう)」とはキク科の総称と出ていました。菊は今の季節が旬の花です。蓬莱は竹取物語に出て来ますが、神仙思想に関係する山で、富士山を指すというのもありました。

もう少し品物があるので、また明日。

トマソンStamp

赤瀬川原平さんを追悼し「トマソンstamp」を発行しました。トマソンさんは存命で現在63歳でいらっしゃいました。

wikipediaより
Gary Thomasson
1981年、読売ジャイアンツに入団。引退した王貞治の穴を埋める存在として期待された。しかしこの年、打率.261、本塁打20本を記録したものの、同時に三振132(当時の球団新記録)を喫し、大幅に期待を裏切り、「舶来扇風機」、「三振王」、「トマ損」、「害人」(外人のもじり)などと揶揄された。また、守備でも、同年の日本シリーズでは、失点にからむ失策を記録した。
2年目の1982年の出場は47試合にとどまり、さらに藤田元司監督とトラブルを起こしたため、同年限りで解雇。
トマソンの名は、赤瀬川原平らが提唱した「不動産に付着して美しく保存されている無用物」という意味の「超芸術トマソン」という呼び名に転用された。

息子の結婚式

昨日、息子の結婚式が東京でありました。築地のホテルで泊まって、横トリでも見てこようと思っていたのですが、気疲れして作品などを見る気がなくなり、予定を変更して帰って来ました。
その帰りの電車の電子ニュースで、美術家の赤瀬川原平さんが同じ日に亡くなられたことを知りました。私が1971年に「零円切手」をつくる際に赤瀬川さんの「零円札」を参照したことが思い出されます。赤瀬川さんの訃報に接し「生死は仏家の一大事、雪降る」(種田山頭火の句として私の頭に入っている)というフレーズが浮びました。慎んで赤瀬川原平さんのご冥福をお祈り申し上げます。
本日の画像は息子からワイフにプレゼントされた花束です。東京から運んできました。

本日はこれにて。