Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

富士山の記憶

富士山を初めて見たのは、高校時代の頸城アルプスにある火打山の頂上からで、200kmくらい遠方からである。雲の上にちょこんと突き出ていた。その後、東海道及び上越新幹線の車内から数回で、裾野の位置から見た機会は4回くらいである。もちろん雑誌やテレビ番組で見たり、読んだり、聞いたりしたことを考えると漠然とながらも無数のイメージ・記憶がある。その中で写真を撮影したことを引き出すと5回くらいに狭まってくる。
次の写真は、新井駅(現妙高市)の駅近くの駐車場の南側で撮影したスナップ。見ての通り富士山ではなく富士山らしき形態である。言わば富士形の一つである。撮影したのは、記録は定かではないが15年前くらいである。これを撮影する時、脳裏にあったキーワードは「トマソン芸術」と現代美術家の「八田淳」である。八田さんは同世代で、また美術教育にも携わったことの在る方ということで共通項の多いお方。八田さん作品を最初に見たのは「キンギョ迷惑な富士」というタイトルだったと記憶している。この写真は八田さんの針金の線による「富士形借景」と似て非なるものであるが、撮影する時に八田さんに送ってあげようという意図があった。だが、まだそのことを果たしてはいない。

この写真は、家族旅行の思い出を構成する一枚。河口湖畔のホテルの食堂近くの窓から撮影したもの。その日は傘型の雲が見えていて、それを撮影するしかなく撮影したのに、プリントした写真屋さんに運のよい日だったね、うらやましいと言われたものです。今見ると、月まで写っていました。


次の写真は2003.11.7に、東名高速道の富士川SA近くで観光バスの車内から撮影したもの。上越市の中学校9ケ校の一団で清水市(現静岡市)の中学校を訪問した交歓会の帰路での一枚です。3泊4日の訪問日程の中で富士山が見えたのはこの日だけ。この交歓会は50年前から始まり、毎年行き来してきました。その意味で100回目となった記念すべき訪問でした。なお、両市ともに平成の大合併を行うことで学校数が増え、事業の運営が困難となるなどを理由に、この訪問をもってその50年の歴史に終止符が打たれたという次第です。