Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

堀川による前山忠-2

GUN展の4日目である。前山が会場に詰めていてくれるので感謝している。今日は「貘三太郎」のペンネームで2005年9月14日付けで書いたコメントを紹介する。
私設アートレビュー前山忠個展 2005年9月9日(金)〜9月14日(水)
長岡市・ギャラリー沙蔵  
額縁型のフレームから門構えへの遊行
ギャラリー沙蔵は、その空間自体が雪国仕様の蔵の歴史的秀作を転用したものである。その改造で土間への階段、2階への階段が取り付けられたため往時の純粋な姿は失われてしまっているが側壁をつくる50本以上のケヤキの柱とそれを繋ぐ貫と土台に囲まれる四角い白壁の数百ものアラベスクが際立つ。そんな側壁と石の土台、石畳でつくられている土間の三要素で成るギャラリー空間それ自体がディテールに至るまで雄弁な言葉である。

会場に入って、まず中央正面に15cm程度の角材で造られた門構えのフレームが、異空間に観客を誘う入場門そのものとして心地よく立っている。その周囲に同質な角材や板材を用いた立体作品6種類が垂直あるいは水平に配置されている。それらの高さ、長さはほぼ等身大であり、形で言えばL字、鍵かっこ、I字(2個)、細長い平行四辺形の胴折り、への字の縦位置。そのそれぞれの内側に精緻な溝としか言いようのない空間がつくられている。それぞれが美しい木目を見せている。癒し系ミニマリズム彫刻という言葉が浮かんできた。寡黙で柔和な印象をもつ作品である。それらが側壁の柱と貫の構造の堅牢さや質感と対照的に調和し、違和感なく配置されていた。胴折り型だけが見る位置で形が大きく変化するトリッキーな要素が強い。人が通過するためだけにしつらえられた中心の門。溝を持つ6つの立体はその陰影で表面から内部へと思いを誘い、またのぞき込むためだけにつくられたかのようである。

氏の最近の作品は、額縁型のフレームが多かった。いずれにしてもそのフレームを通して見たり、その中を通ったりして意味が出てくるわけだが、今回は「見る。ながめる」という通常の関わりに加えて「くぐる」「のぞく」などの遊技性が強調されている。その意味で、氏の作品の意図は明確に伝わってくる。また、氏の作品は由緒ある優れものの空間に配された独特な<しかけ>である。総選挙で圧勝した小泉総理流に喩えれば作品という<刺客>を配置することによって古さや歴史の言葉が背景に紡ぎ出され新しさと響き合う意味作用が生成してくるのである。
もう一つ「望遠筒」と名付けられた直方体の小品が入口の袖にあった。手に持って遠近と角度で動かして見るものである。これは氏のコンセプトであるフレームと視界の相互作用の原理、視覚の不思議のモデルそのものである。

なお、2階の喫茶店には、3種類くらいに分類されるアクリルやパステルによるドローイングと氏のトレードマークでもある鏡の裏面を削り落とす手法による透過と反射で演ずる新作小品が計30点ほど展示されている。2階では頒布も意図されているが、これらの良質なアート全てをコーヒー一杯で鑑賞できる贅沢を素直に喜び、かつ氏の個展三昧の遊行に心から敬意を表する次第である。