Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

堀川による前山忠-1

美術表現についての自分の考えを、それなりの文章で書けるようになったのは40歳に近くなってワープロを使うようなってからである。手書きからタイプライターそしてワープロへと変化するに伴って、文章も長く書けるようになってきたように思う。さて、前山忠は高校、大学共に一年先輩でGUNグループの創設の頃から兄貴分でありつづけてきた。前山とは陰に陽に影響し合い、またライバル意識で切磋琢磨してきた。そんな前山のことを初めてコメントして1994年11月に月刊風だるまで発表した。現在、トキ・アートスペースでの「GUNの軌跡」展の開催中であり、以下に掲載する。

前山忠個展に寄せて
「空間を異化する響き」

今回の前山忠個展は「鏡シリーズ」で、インスタレーションの大作〈UNTITLED〉と〈WINDOW〉とタイトルされた小品12点で構成されていた。氏の鏡を使った作品は四半世紀以上前に始まる。最初に故石子順造氏を驚かせて以後、新潟現代美術家集団GUN展、ルナミ画廊個展、シロタ画廊個展等と「鏡の前山」は一世を風靡した。
1967年「ルナミ画廊個展」

1967年 GUN創設展と「ギャラリー新宿」展

1967年「ギャラリー新宿」展

 しかし、1969年の現代日本美術展や箱根の森彫刻展では、バネやメジャーを使った作品となり、同年8月の長野での「美術という幻想の終焉」展ではことばによるマニュフェストと激変していく。以後、氏が鏡の作品に回帰するのは‘83年の上越市の大島画廊での個展である。その時、68年の横浜市民ギャラリーでの「今日の作家」展に出品した大作3点をつなげた〈LINE〉の回顧展示も見られたが、鏡への回帰は、氏と鏡への問題意識が不可分のものであることを語り、その後の活動を活発に再開するスタートとなった。
 そして、第一回、二回の日本海美術展やマグニチュード展、創庫美術館展、アトリエ我廊個展、ヒルサイドギャラリー個展と氏の本領を発揮した破綻のない作品が続々とつくられていく。また、今回のような大がかりな作品のフォームが確立したのは、たにあらた氏を招いた長岡図書センターでの第二回マグニチュード展であっと言ってよい。
 氏は鏡を鏡たらしめているガラスの裏面のメッキを削るという技法を用いる。カッターの刃やコンパスの針を道具にした純然たる手仕事により10分の1ミリ以上の驚くべき正確さで形を削りだす。
 氏の鏡の作品を語ることばは沢山ある。その代表は「実体と虚像」「実像と虚像」という二元論であろう。鏡面に映しだされる虚像と、削られたガラスを通しての透視像の見え方の微妙なズレと響き合い。見ることの作用を自ら問わずにいられない空間の仕切り、切断の装置。映り、移ろう、現(うつつ)の情景の切片。見るということを見させる作品。子供も大人も文句なく見る楽しみのあるトリックアート。鑑賞者が参加する作品。そして、そのハードエッジ風な表面の構成に、更にいくつかのことばが見えてくる。「同心性」「求心性」「遠心性」「対称」「対照」「対比」などである。また、同じ鏡を使っているが、アクションペインテイング風にメッキが削られた小品は、鏡面の虚像とガラスの表面の虚像とのダブリが一つのリアリティを醸し出している。
 そして、今回のメインのインスタレーションの大作は、我廊主の藤由暁男氏が「靖国神社の門にガラスを張ったわけだ」とコメントしていたように、一つの結界の記号「通れざる門」と言ってよい。それは三つの面から成り、中心のゲート状の木枠に透明ガラスをはめこみ、その両サイドに一辺が30� 程度の正方形に削られた窓のある鏡と削りの全くない鏡そのものを二枚ずつ背合わせに配置している。また作品の一辺が直方体の画廊空間の壁面に直交するよう接して置かれ、反対側の開放されている空間から裏と表それぞれに移動しながら見て楽しむことができるようになっている。
 視点の移動に伴って千変万化するこの作品を語り尽くすことは難しい。確かなことは木枠そのものやシンメトリカルに切断されガラスと鏡を挟んで密着して置かれている二つの自然石などの小道具が見ている者自体の像や画廊内部の像とオーバーラップして、映ると映らないや見えると見えないという虚と実、切断と連続のあいまいさと確かさの響き合い、空間の異化を豊かに演ずることである。
氏のこれらの作品群と政治的攻撃性のある過去の作品群や住民運動にも関わる現在の多様な活動との接点を見ることには無理があろう。しかし、鏡のもつ鋭さと冷たく理知的なきらめきを氏の世界観の切片、思考の切断面、現実の在り様を掬う形而上的モデルと見たい。