Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

山岸信郎さん(追悼)

山岸信郎さんが亡くなられてはや半年経ちました。5月9日に開かれる山岸さんを偲ぶ会の案内が来ました。しかし、出席できるかどうかめどが立っていません。山岸さんの真木画廊で’76.’77.’80に3回個展をさせていただきました。私のこの時期は、多忙を極めて来た教員の仕事や結婚生活のスタートなどとの兼ね合いもあり、作家として明確な展望を描くことが出来ず、悩みは多くありました。個展と言っても展示と初日で一泊二日、後片付けの日は日帰りというようなスケジュールであり、作家としてのアリバイ証明をしているような意識がありました。
そんなこちらの内情を山岸さんは見抜いておられ、それなりに親切、支援的に対応していただき、感謝でした。
その際に撮影させていただいたお顔を掲載させていただきます。
この写真を使って、知人・友人シリーズの山岸さんの零円切手をつくる計画でした。しかし、結果的として制作したのは2006年になってからでした。
山岸さんに初めてお会いしたのは1967年12月のこと。ギャラリー新宿での第一回GUN展に美術雑誌「三彩」の展覧会評の取材に来られた時でした。その時、他のメンバーが居らず、私が対応し、「観念の変革を目指す」などと受け売りの大げさな話しをしたのです。’68年2月号85pより。核心を突くコメントでした。

’76年の個展にて。背後は「御馬上の聖上陛下」の拡大リプリント。(和田英作画伯の昭和3年の新聞付録)

山岸さんの色々な表情を撮影させていただきました。(この写真のネガを探しているのですが見つからず、密着プリントしかありません)


’77年の個展のときです。

’76年に撮影した写真を30年後にE-mail stampsに仕立てました。2006年のギャラリー檜での個展に発表。

’86年12月の新潟のアトリエ我廊での「新潟現代美術4人展」のために書いていただいたコメントです。お礼は名酒「雪中梅」一本でした。この後の付き合いは途絶えてしまいました。

山岸さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本日のStamps-8
ネット上で見たヤノベ・ケンジさんの「火を噴くロボット」に触発されて作りました。長岡市の南部の越路町の朝日原、親沢あたりで天然ガスを燃やしていました。地上20mくらいの所から炎は20〜30mくらいですごい感じ、迫力満点でした。この地域、5000mくらいの地下に全国一のガス田があるそうです。なお、環境への配慮等からこの炎を毎日見ることは出来なくなっているとのことでした。