Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

1973年以降(教育への傾注)

1971年3月の「言葉とイメージ」展以降の田中角栄首相の零円切手や「写真ハガキ」シリーズのことも語り終わった。1972年秋の個展のことは近日中に掲載する。さて、私はこの年の4月から2年ぶりに学級担任を任され、否が応でも本業の「教育実践」に傾注せざるを得なくなった。いくつかの研修刺激にも恵まれ、身近な地域に根ざした題材の開発「猫又伝説の紙芝居と版画」に取り組んだ。地元の美術教育界へもデビューした。約一年の生徒と一体的な奮闘の末、教員組合の全国教育研究会の新潟県代表に選ばれることになる。
その私の教育実践が初めて新聞に紹介された。(この頃から「美術教育」と「現代美術」の二足のわらじとなっていく。この頃から、教員の仕事で忙しくなっていき、しばらくの間、良い作品は出来なかったのである。)

本日の付け足し
妙高市赤倉の「いなり記念館」で「高橋秀」展が開かれているのを見に行ってきました。オーナーの吉澤さんの話しから、高橋さんはイタリアから帰国されて5年目。80歳を過ぎておられるとのこと。作品は総数で約30点。レリーフ状、工芸的と言ってよい作品。全体は矩形。その中で地であり図である部分を成す変形的キャンバスを組み合わせた作品でした。装飾的で大和絵琳派的な作品で、一部はエロ的なくぼみを感じる作品がありました。いずれにしても、初めて見る作品ばかりで醍醐味のある鑑賞でした。
写真は、国道18号線大田切橋の500mくらい手前から見た妙高山。この時期、山頂に「山の字」が見えます。妙高山の有名な雪形です。