Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

幻の企画(1974年)

197年のオイルショック。その後の文化の閉塞状況の中で色々なうごきがあった。この年の9月に「発癌性イベント」展を行った後、何か、動き出そうと、力もないのにリーダー的役割を演じるようになっていった。
羽永さんからフイルムアート社によるシンポジウムキャラバンの呼びかけ文が送られてきて、それに応えようとしたのである。

<ある企画のためのテキスト>

失われた時間と空間をとりもどすために—時代・生活・文化に関わる覚え書き—
           
現代は「断絶の時代」「多様化と画一化の時代」「組織の時代」「情報化社会」などと様々に呼ばれている。
我々は、まさに、いま、ここ、この地、この時代に生きているわけであるが、この疎外感、不安感,空しさはどこからくるのだろうか。それは、日常生活で不断に関わり、進行している自然破壊、人間性喪失、生活破壊、インフレ、政治反動、司法の反動、教育の諸矛盾、食料問題,公害、原発・核問題、安保、侵略の歴史問題等々の政治的,社会的、生活的、文化的諸問題との関わりにおいて生じるところのまざり気ない表象、認識のそれである。これらの諸矛盾は、60年代の経済発展の神話を崩壊させ、未来への展望・指針を失わせ、暗黒の未来社会が待ち受けている「という、恐ろしい予知、予感さえする70年代である。
我々は、社会的、歴史的、文化的存在として、いま、ここ、この地、この時代に積極的、人間的に、当たり前に生きていこうとする主体的な地平に立っている。しかし、内面の時間と空間が権力(或いは何者か分からぬ得体の知れぬ力)によって支配され、奪われ、制度化、情報化、管理化されてしまっているという現実、醒めた認識を持っている。
それ故に、自らの手と力で自らの世界、生活・文化を切り開き、時間と空間を、主体的自己を回復しようとする志向性を持つのである。
では、具体的に「何を、どのように」すべきなのであろうか。

我々は、物質的、経済的生産労働により生活を営んでいる。人間は「何を」「いかに生産するか」によって定まる。逆に生産の物質的諸条件に依存する面もあるが、我々の生存活動は物質、組織、精神(文化・知識)、生命の再生産過程であり、これら4つの側面を統一的に考えねばならない。前述の、危機・矛盾もこの4つの側面全てに根ざしたものである。
このように考える地平から、「人間性優位の何か(価値あるもの)」を「収奪せず、収奪されず、疎外せず、疎外されず」生産して行かなければならない。
肥大化した資本主義の社会で物質生産の従事は職業として土着し多様化・分化し、資本の運動法則によって移動、支配されている。この側面における問題は、個の力ではどうすることも出来ない。(このことについて具体論として展開し得ない力量不足)
これらについては政治的視点から考えるのが筋道であろう。しかし、文化を考える時は政治至上主義は排していきたいものである。
また、我々の描く政治とは力の論理ではなく、人間愛の論理である。
現実は、力には力であり、労働運動、住民運動へと我々の個別を開いてゆかねばならない。
精神の生産活動としての文化は、外在的には支配階級の文化として築き上げられてきた歴史性と、その時代の政治・文化状況により一定の規範や価値を定立し、そのことにより秩序を維持してきた。内なるものとしては、人間個別の生活様態として立ち現れ、迎合する者、飢える者など複雑な関係構造を持っている。政治、文化の中央集権化と三割自治、つまりは三割文化の現状は、地方文化、土着文化、サブカルチャーの育成を収奪、抑圧し、あのデスカバージャパンの名の下に風化させしめてきた。風景すらも均質化、画一化されてきてしまった。
我々は確かに飢えている。それ故、奪われない、本物の文化を、自らの手と力で獲得した文化を、与えられるのではなく創り出したい。我々の文化と言えるものを創り出したい。
我々の志向する失われた時間と空間を取り戻す、奪い返す闘いは、中央にこの地新潟(地方)を対立させることではない。地理的な土着に没入することでもない。地方意識を掘り下げることでもない。
日本、世界のどこに在っても、今は今、ここはここ、ここを離れてユートピアがあるわけではない。あらゆる状況を、今、ここからとらえて撃つということであり、開かれた位相を持つ今とここである。我々は新潟という地にある。だから新潟の地から闘いを開始するのである。
我々は永遠の漂泊者であり、世界の創造主であらねばならない。
我々は主に美術運動を通して7年間この地と関わって来た。その経験を踏まえ、この地新潟において主体的自己をもってこの混迷の70年代を積極的に生き抜こうと考える。
各ジャンルで同じように闘っている数多い人達のことも理解している。安易な連帯を呼びかけるわけではないが、それぞれの方向性や運動の内実を交流させることが大切である。
ジャンルや地域こそ違え、そこには必ずこの時代の問題点が追求されるであろうし、共通する問題も多く見られると思うからである。
このようなコミュニケーションの場は3年前の9月に新潟の大和デパートで開催されたことがある。
「表現、状況、そして新潟」というテーマのもとに80人ほど参加し(絵画、市、ジャズ、文学、演劇など)、それぞれの意見や活動の交流を通し、それぞれの立場を確認し合った。
情報交流センターの設置が提案され、具体化しつつも発展はせずに終わったようである。
そこで、「今度は、話し合う事ではなく、お互いの表現の場所で出会おう」とそれぞれの生活の場,生産点に帰ったわけである。
その時の交流から次の出会いとなって発展したという話はまだ聞かれない。しかし、良い意味での影響は必ずどこかに現れると思うのである。
あの時の情況と、今日の情況にはどれほどの違いがあるのか。表面的には変化したとは言え、本質的に何も変わっていないし、むしろ益々ひどくなってきていると思われる。
また、先日(10月13日)新潟で開かれた「地球を考える集い」に参加した。音楽家のタージマハール旅行団の長谷川時夫氏等が呼びかけ人であったコミュニケーションの場である。
自然−地球−公害−教育−生活−子ども−未来−ユートピア−コミューンなどの問題が話し合われたが、2日間にわたる最後になって、この話し合いを続けるかどうかということで歯切れの悪さが感じられた。
ほんの一時の出会い・話し合いであっても意味あるものは意味あるものであり、意味ないものは意味ないものである。続けることの意味も大きいが、2日間の話し合いの内実が大きかったのであろう。
参加した責任として、我々は、話し合われた内実を自らの生活の場面で検証し発展させていかなければならないわけである。
再び、我々がこの地新潟に在るという現実に立ち返ろう。ある人にとってここはあそこであって新潟ではないであろう。我々にとってここはこの地新潟である。この眼前の風景を切り裂き造り替えて行こうと思う。このことはロマン主義者の片思いに終わるかも知れないが死ぬまでが勝負である。共通の志向性を持つ主体者とぜひコミュニケートしたいものである。
それぞれの日常性まで下降して交流することは無理であろうが、より多くの側面で交流し、それぞれの目標達成の一助としていものである。
交流の場を連帯性発見のモメントとしたいと考えている。そして、情報交流のシステムを作り、不断な活動の競合を勝ち取っていきたいものである。(1974年11月16日)

「文化を考えるシンポジウム」開催に向けての提案 11月17日(けさじろ荘)

仮称 文化状況74→75
—この地の文化をどうするのか—私たちの文化をどうするのか— 

日時 12月22日(日)13:00〜17:00
場所 長岡市 駅裏 教職員互助会館けさじろ荘

日程 13:00 開会宣言(趣旨説明)
   13:05 映画鑑賞 「アンダルシアの犬」17分「チャップリンの浮浪者」
チャップリンの冒険」34分「トマトケチャップの皇帝」23分
   14:30〜15:30
         講演 講師寺山修司(素材提供)
   15:30 基調提案 司会者、講師、パネラー紹介
         パネラー(各10分) 
吉岡又司(文学)五十嵐正志(演劇)羽生英一(音楽)
堀川紀夫(美術) (公害・原発) (公害・緑化)
パネラーを交えての質疑・応答・意見交換

講師によるまとめ的講演
17:00 閉会宣言

主 催 シンポジウムキャラバン実行委員会(代表 堀川紀夫)
後 援 フイルムアート社 「芸術クラブ」(9月に共催の提案有り) 
新潟日報社(交渉中)
入場料 映画鑑賞代金として500円(入場券を発行する)
パネル展示(羽永光利 「表現と行為の10年」写真展)

(註 この企画は寺山修司氏が来れなくなってしまい実現しなかった)