Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

信濃川へ(7月7日)

私の石を送るメールアート「The Shinano River Plan-11」から今年で40年である。そのことを記念する作品をアメリカと日本の美術館など幾つか送ることにした。50周年に自分が生きていると言う保証はない。送る日は、アポロ11号が人類初めて月に降り立った日である7月21日(アメリカ時間7月20日)である。40年前のその日、私は石を拾ってそれをメールアートに仕立てて送った。石を拾った場所は十日町市中条中学校近くの信濃川である。
昨日、その21日の行為の事前視察として40年前に拾った現地を数年ぶりに訪れた。40年も経過しているわけであり、川原など変化していて当然である。かなり前にえん堤が改修され、そのことからか流れも変わり、今は10m×100mくらいの瀬のような出っ張りができ、そこに茅や雑木のブッシュができ簡単に川原に下りることが出来ないようになってしまっている。それと最近発覚した上流の宮中の堰でのJRによる不正取水問題から流水量が本来の量に復活。7から200tへと30倍近く増えており、下りて遊ぶには危険な川になってしまっているのである。

堤から10mくらい下からBlue Skyを見上げて。

上流方向。こちら側に流れが出来ていて、川端を歩いて行ったけど、白く水しぶきが立っているところは流れが急では中州には渡れません。中州の向こうにかなり大きな幅で流れています。

下流方向。中州に渡れば素晴らしい石が沢山ありそうです。200mくらい下流に行って中州に渡ることが出来た。いずれにしても川の中を歩くのは少し危険な感じでした。

上流へ50mくらい行った所です。素晴らしい石が沢山あるように見えますが、手頃な2kg程度の丸みのある石は簡単には見つかりません。

川原で2時間近くいました。合わせて石を10個くらい採取して本日終了。
帰りの途中で撮影した一枚。253号線沿いの孟地地区の松苧そば屋さん近くの2000年の第1回の大地の芸術祭のトーマス・エラーの作品「人 自然に再び入る」の今の姿です。9年かけてタイトル通りにツタが絡まった姿になりました。ちなみに、下に添えてある作品の作者名などの表示が間違っていました。