Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

個展レビュー(前山忠コメント)

この度の個展について前山忠さんがコメントを書いてくれた。前山さんに大感謝です。謹んで掲載させていただきます。

堀川紀夫展 painting ギャラリー檜(2010.2.8〜20 日.祝休)
重層的な空間に浸る楽しさ

 今、新たな絵画・平面について語ることは容易ではない。まして表現することは更に困難である。なぜなら絵画表現としての可能性は、20世紀に入ってから今日まで素材的にも技法的にも論理的にもほとんど実験され尽くしたかに見えるからである。にもかかわらず、今も飽くなき創造の冒険者によって新しい表現の可能性への困難な挑戦と模索は続けられている。
 今回、堀川紀夫は絵画(PAINTING)展に徹した個展を開催した。と言っても、絵画に回帰した訳ではない。恐らく、久しぶりに絵で勝負したくなったのだろう。現代美術をやっていると、基本テーマはそんなに変わるものではないが、同じ素材や表現方法にこだわらず次々とその時その時の表現したいものに挑戦したくなるのは、むしろ自然の成り行きだ。大事なのはそうしたくなる衝動である。如何なる緻密に計算された表現といえども、そこに向かいたくなる<内なる衝動>がなかったら、他者の<外なる衝動>を呼び起こすこともないからだ。
 60年代中ごろの学生時代から平面表現してきた彼にとって絵画は出発点であり、常に自己を駆り立てる最も耕された土壌でもある。今回の平面作品は、90年代の終わりに開花させた表現方法の延長線上にあるが、その当時からすると技法的にも論理的にも格段の深化を遂げている。
 見かけはキャンバスにアクリル絵の具、ごく普通の表現手段だ。描かれた画面は青を基調に細い線を縦に細かく引きながら、その周辺に描かれざる空洞を残し、更にその空洞にゆるい絵の具が流れる。そこに二重三重の凹凸と異空間が浮かび上がる。窓ガラスに雨水が次から次へと流れ落ちるようなうねりにも似た流れと、ぼんやり浮かぶ背景がガラスという透明な同一表面上に立ち現われる重層的空間に浸る楽しみがある。
 以前の作品に比べ、最近作の「Void」(「虚空」とでも訳せばよいのか)と名付けた最後のシリーズの2点は密度が増し、空間的な奥行きも陰影も増している。今後の展開のおもしろさと可能性を示唆しているように感じられ、楽しみである。本人も言っているように、「描きつつ描く中に次々と立ち現れるイメージを感受。また描く中でイメージが煮詰まるという感じの制作の過程でした」とは、まさに表現しているその真っ只中のスリリングな瞬間を伝えて余りある。言ってみれば、これは平面(いや表面と言った方が適切かもしれない)に出現する位相的・異空間という今日的な絵画表現の問題意識に通ずる。
 平面と立体、あるいはインスタレーションと表現方法は異なっているように見えても、本人にしてみればそれほど違った表現とは思っていないのかも知れない。昨年の大地の芸術祭で発表した「SKY CATCHER」は、文字通り平面の鏡に空が映るのであるが、そこに立ち現われるのは空(そら)でもあり、無限かつ深遠なる空(くう)の世界でもある。平面に詰まった無限空間と言ってよい。
 そもそも、平面には、平面という一見限界というか限定条件がある。一方、立体や空間は我々を取り巻く自然・環境に位置しているが故に、一見自由で無限に感じられるかもしれない。
しかし、見方によっては全く逆にも思える。立体ゆえに重力や実体・実寸という現実空間の制約が付きまとう。平面はそれからみると一切の物理的制約を超越したかのように立ち現われる独自空間を持っている。<平面恐るべし>、まだまだ絵画は続く。

2010.3.5  前山 忠(美術家)