Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

高校から大学へ(1961〜64)

時間を見つけては書斎の整理を続けている。死んでしまえば意味のない美術の資料が多く、できるだけ意味あるように整理し、壁面を空けたら作品でも飾りたい。
数日前から、学生時代のアルバムを整理。12月に亡くなったA君の写真が多く出てきた。思い出は一挙に40年以上前に遡るが、これは自分の記憶、脳の中だけの作用。できるだけスキャンしてその後処分。写真はなくても記憶は残るし、外付けハードに入れておけば何時でも呼び出せる。「人生49年一睡の夢」とは上杉謙信の辞世。
そんな写真の一枚。右手に持つチラシかカタログで何時かが分かる。大学に入学した年に生まれて初めて東京に出向いたあの1964年の「ミロのヴィーナス展」の時の一枚。7人くらいで夜行列車で行ってヴィーナス展だけを見て夜行で帰ってきたと思う。この年に東京オリンピックが開催。激動の時代に巡り会って、少しずつ眼が開いて行くのである。
「ミロのヴィーナス展」は1964年4月8日-5月15日。東京・上野の国立西洋美術館が会場。連日、押すな押すなの大盛況が続き、ヴィーナスを見ようとする人の列がを西洋美術館から科学館までの四角形を二重になるくらい取り巻いていた。随分待たされて一回りはして入館したことはよく覚えている。(京都会場も含めると、総入場者数は175万人に上った。)

これ以前の高校時代は3年間美術クラブに所属。顧問は村山陽先生(一水会)。先生は現在もかくしゃくと制作を続けておられます。
その前の中学時代は彫刻専門の北条明義先生(故人)が学級担任。中3の時には頭像の制作と本格的な石膏取りを経験。貴重な学習経験となった。

(高校時代の活動歴)
1961年 第8回高田市展 彫塑部門入選(モデルは使用しなかった)
1962年 第9回高田市展 彫塑部門入選(モデルは同じクラブの同級生T君)洋画部門入選「山小屋の中 F10」
1963年 第10回高田市展 彫塑部門入選(モデルは同級生K君) 洋画部門入選「風景ー笹が峯からー」
    第5回糸魚川市展(絵画)入選
    第18回新潟県美術展彫塑部門入選(モデルは同じクラスのY君)

同級生K君がモデル。

糸魚川市展入選作品。同級生Mが持っているはず。

初めて新聞(新潟日報)に名前が載った思い出。なお、この像は評判が悪く一週間程度で片付けさせられてしまいました。


1964年は高田市展に風景画を出品したのみである。翌年の4月より抽象画を描くようになっていきます。
このブログに掲載すると写真が生き生きと見えてくるのが不思議。
掲載した後はシュレッダーで処分。少しずつ紙の実体を減らしているわけです。
今日の内容の続きはしばらく前に戻って12月14日付けのページになります。
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20091214/1260777919