Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

針生一郎さんの葬儀など

31日の宿は築地の場外市場近くのビジネスホテル。築地は全国から食材が集結する場所です。買い物や食事をするのが楽しいです。
1日の朝、7時過ぎに散歩を兼ねて買い物と食事にでかけました。
刃物問屋にて。マグロ等の解体に使う長刀みたいな刃物です。

新大橋通りに面している「井上」で二度目のラーメンの立ち食い。

宿を出発したのは9時頃。地下鉄で霞ヶ関丸ノ内線に乗り換え、新宿から小田急線で生田駅へ。

小田急線に乗ったら、その号車へ河口龍夫さんが現れてびっくり。行き先は同じでした。
生田駅前に案内の方がおられました。

針生さんのお葬式の宗派は浄土真宗でした。くっきりとした青空のもと、会葬者は300名くらいでした。お葬式には特別変わったプログラムもなく普通に厳粛に取り行われました。印象に強く残ったのは同級生の南条史生さんの弔辞を聞きながら、ご遺族の皆さんが明るく笑って受け止めておられた様子。また、最後の場面での喪主ご挨拶が明るくユーモア中に堂々とした格調をがあり、さすが針生さんご子息と感服でした。


葬儀場左の墓苑の入口に楽しいカエルの彫刻がありました。土に帰る(還る)の語呂合わせでしょうか。

遠路はるばる東京まで葬式に出かけたのは、幾つかの理由からです。一番大きな理由は、私の出世作「石を送るメールアート(1969.7.21付)」の最初の送付先の11名の中に針生さんが含まれていたということです。
針生さんの葬式の後は、新宿区曙橋のアイショウミウラアーツ「秋山祐徳太子」展と上野のBATHHOUSEでの「アニッシュ・カプーア」展を見ました。その後30分くらい秋葉原でパソコン等の新製品を物色して18時12分の電車で帰ってきました。
秋山さんが都知事選に出馬した時のポスター。素敵な眼差しです。

人気のブリキ彫刻。沢山売れていました。帰り道で秋山さんが向こうから来られたので、少しお話をすることができました。秋山さんは元気一杯の70代です。勝手ながら兄貴分の一人とさせていただいているわけです。


上野のBATHHOUSEの外側から。黒いのは球体、その向こうの部屋に無数のステンレスの鏡面の小片を貼り合わせた凹面鏡がありました。その鏡の作品は前に立つ人をダイヤモンドのごとく美しいカット面で映し出し、幻想的にも見え本当に良かったです。