Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

東京へ(第17回アート・スタディーズ 特別編の感想-3)

続きです。今日はヤニス・クネリスの図版について。
藤枝さんは、李さんの1970年田村画廊の個展(1.12〜24)の作品とヤニス・クネリスの鉄板と綿の作品を関連づけた言葉を話された。記憶では「李さんは見ている。あるいは影響を受けている。」の言葉でした。
藤枝晃雄「批評について」SD1970年3月号の101pにクネリスの作品の図版が掲載されています。しかし、この論考でクネリスの作品自体に触れた記述はありません。

私の持っている「アルテ・ポヴェーラ」より。この1967年の図版から、クネリスの鉄板と綿の作品だけが切り離されて紹介されて来たように推察されます。部屋全体が作品で右側にその作品があります。

ちなみに、同SDの記事に続く104〜105pにジョセフ・ラブによる李禹煥の個展から「時間・場所・物」が載っています。私自身、この個展を見ています。1月でした。上越線車中から川原の石に載った新雪が美しく見え、「石と綿」の作品が同じ印象に思えたことを鮮明に思い出します。
「構造B」(石と綿)

「構造A」(鉄板と綿)

クネリスの作品は1967年作。李さんのは1970年作です。この関連は?
少し前の記事より。
1969年BT10号に中原佑介の「世界の動向”アルテ・ポヴェーラ”の出現」という紹介記事があります。中原さんはここで、まだカタログを入手していないと書いています。これ以降に所謂「貧しい芸術」のカタログや作品写真が日本に入って来たものと考えるのが自然です。ちなみに、1970年BT4月号103pのワイド・アングルには「”貧しい芸術”とよばれるもの」アルテ・ポヴェーラのカタログ紹介の記事がある。このカタログにクネリスの「鉄板と綿」の作品が単独に紹介されていたのでしょうか?。