ゴジラの話
2011年10月29日朝日新聞夕刊紙面より
夕焼けの中の国会議事堂。映画ではゴジラに壊され、今は震災と原発事故の対策で揺れる=東京都千代田区、遠藤真梨撮影
体長50メートル、体重2万トン。恐竜時代に海棲爬虫(かいせいはちゅう)類から陸上獣類に進化途上だった生物。それが「ゴジラ」だ。
千葉県沖で船を襲い東京・芝浦に上陸。口から吐く白熱光で銀座、国会議事堂、上野を焼き尽くし、隅田川を下って再び海へ。人間との対決はクライマックスに向かう。
東宝の配給で1954(昭和29)年11月3日に封切られた。新聞などの映画評は「企画だけの面白さ」などと必ずしも芳しくなかったが、観客動員は封切館だけでも961万人と大ヒット。日本の怪獣特撮映画の扉を開けた。
監督は本多猪四郎(いしろう)、プロデューサーは後に東宝映画社長も務めた田中友幸、そして特殊技術は円谷英二だった(いずれも故人)。
この年3月、米国は太平洋のビキニ環礁で水爆実験をおこない、日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びた。田中はこの事件に接し、円谷があたためていた特撮構想の映画化を決意した。
「怪獣ものだからといって世間の笑いものになるような作品にしてはならない――。本多、円谷、田中さんの思いはこの一点だった」。チーフ助監督を務めた梶田興治(こうじ)さんは語る。映画中、古生物学者の山根恭平(志村喬〈たかし〉)は、ゴジラは「度重なる水爆実験のため安住の地を出た」と推論する。サルベージ所長の尾形(宝田明)は「ゴジラこそわれわれ日本人に覆いかぶさる水爆そのものではないですか」とうなる。
反核のメッセージもさることながら、作品の衝撃は、なめらかな動きをする怪獣と精巧なミニチュアだった。
ゴジラの誕生が第五福竜丸の被爆事件と関わりがあることは以前から知っていましたが、フィクションの持つリアリティの問題として今日のアートのあり方に絡めて考えてみた衣と思います。
とりあえず。