原点への遡行-E
1968年の8月(長岡)と9月(新宿)のGUN展で私は鏡面ステンレスで大きなネクタイを作った。見る者を映し込む完成度ある作品でかなりの自己満足もあったが、その次の作品をどうするかで発想の転換が必要だった。また、何よりも2回のGUN展の金銭的負担は大きく、金欠になって活動を制限せざるを得なくなってしまっていた。
その10月に関根伸夫が第1回須磨離宮で「位相・大地」で受賞。11月に第5回長岡現代美術館賞を受けたことは、8月の長岡でのGUN展に招待されて見た作品が立体変形作品だったので随分と驚いた。ほぼ同世代の作家の活躍に大いに刺激を受けたのは言うまでもない。
1969年に入った。毎日何か新しい発想に心がけるようにし、思いついたものをメモする事を始めた。といって、すぐに良い発想が生まれて来た訳ではない。
3月27日の日付で「物体を針金で梱包し火を加える。不燃性のものだけが残る。プロセス・アート、エアー・アート。」と書いている。
このことは実際に試みている。校舎と校門の間30mくらいあって、その中間で雪がかなりあって雨が降る中で火をつけて包んだオブジェを燃やした。この試みをする前に、前山からの伝聞かもしれないが、石子さんより小清水漸が何かのグループ展で梱包用の紙紐を貼り合わせたテープを使って空気の梱包とも言うべき作品を作った。この作品はいい発想であると聞いたように記憶している。また、高松さんの「石と数字」の写真はBT4月号なのですでに見ていたのは確かである。
現代美術の先鋭的な地平へ入って行く入口にこの作品がある。火にかかったので早めに錆びて、今も錆びが着いたままにである。まだ未発表の作品でサイズは15×15×15(cm)である。