Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

「石を送るメールアート」1

「石を送るメールアート」覚え書き(2009,04,11)

私が「石を送るメールアート」を始めたのが1969年7月21日である.その日から40年が過ぎようとしている。そのこと自体に特別な意味があるとは言えない。
さて、昨年末に分かったことだが、http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2008/oct/29/1000-artworks-to-see-before-you-die-artにも選ばれていた。死する前に見るべき世界の1000の作品の一つに選ばれていたのである。
40年を経ても評価されているわけであり、このことを記念すべき大きな節目として、この作品についての歩み、語られた言葉をまとめておきたいと考えた。
まず最初は、美術手帖1969年11月号である。李禹煥氏の「観念の芸術は可能か—オブジェ思想の正体とゆくえ」という評論で批判する作品の第一番に私の「石」のことが挙げられ写真も掲載されていた。その冒頭の書き出しに「新潟のある作家から、書留で「石」が送られてきた。こぶしほどの石を、細い針金で縛り付けた「作品」である。‥‥しかし、「どうみてもこれはただの「石」であり、それ以上でも以下でもない、「定められた石」であるに過ぎないことを再確認する」とある。明確に批判されている。その内容はともかく、私は作品写真とタイトル「Shinano River Plan」、そして堀川紀夫の名前が全国雑誌に載って、大喜びであった。
 その後、精神生理学研究所の活動でニクソン大統領に石を送ったことが読賣新聞の全国版の美術ではなく社会面の記事になる。
 中原佑介氏より第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」展への招待を受けたとき『展覧会では郵送も含めた多様なメディアを使いたい』との話しがあった。美術手帖70年6月号での今月の焦点での同展の紹介記事では「堀川は、石を裸のまま郵送し、コミュニケイションそのものを、新しい体験とし直そうとする試みを続けてきた」と書かれている。
毎日新聞安井収蔵記者による4月30日付けの同展の紹介記事では「堀川紀夫(新潟)の“作品”は行為である.その行為はすでに四月二十日からはじまっている。住まいの近くを流れる小川で、彼は毎日一個の石を拾う。その状況を記録し、ハリガネで包みトウキョウ・ビエンナーレ事務局へ書留郵便で送り続けている。こうして十三日間にわたって十三個の石を送り続ける。五月十日の開会式に彼は上京しその十三個の石を確認する。こうした行為によって、彼は自身と社会とのかかわあいを確かめるのである」とある。
同展のレビューとしていくつかの記事に紹介された。週刊文春(70.6.1)は「芸術・頭の体操」という九枚の組写真の中で床の上の石を下向きに見ている写真。朝日ジャーナル(70.6.7)は一ページの文中で「川原でひろった石を小包にして郵送したものを会場のあちこちに置いているもの」というコメントで、唯一のカット写真に取り上げられた。
新潟日報は「会場のところどころに石が落ちている。しかし、これは片づけ忘れた石ではなくて、堀川紀夫の作品であった。彼は何の変哲もない石ころ十三個を一日一個ずつ十三日がかりで国際美術展の事務局へ書留•速達で送り、置き場所も指定した」。
サンデー毎日(70.6.14)では、「とたとえば新潟県高田市の川でひろった十三個の石を、番号順に書留速達で それを指定の場所に展示する(堀川紀夫)いった作品もある」。
これらは私に関する記述のみを転記したわけだが、いずれも作品としての意味内容にふれることはなく行為の断片の事実を伝えるまでのものだった。
美術手帖(70.7)では「堀川から石がおくられてきたとき、郵便配達夫が受取人にいった『お若いのにいい趣味をおもちですな』。 堀川はもっぱら身近な生活状況の中で、人間の行為の意味を掘り起こそうと考えて石を拾い、友人に送りつける。石そのものにどのような意味も認めないからこそ、それをもって送るという行為の道具とみなすことができるのだろう。伝えられることの内容ではなく、伝達ということそれ自体が彼の関心事なのである。郵送はそのまた一部分でしかない」。
この冒頭の郵便物を受け取るところの記述はどのように語られてもよいのだが、石を拾ってメールアートとして送る一連の行為を〈伝達〉のみに抽象化して解釈しており、私の意図とは別のものとなっていた。
芸術新潮(70.7)では大岡信氏による「東京ビエンナーレを告発する」という特集が組まれた。私の作品の写真に添えられた批判のコメントの部分を転記する。
「ただ、あるということの猛烈な事実をどう受けとめているのか。見、感じる行為、認識する行為、行う行為、‥‥‥沈黙する行為、語り示す行為、‥‥‥日々、一定の重さの石を河原に拾い、それを主催者に送りとどける行為とは?そして、その行為をこの石は語らない。見るものはただ通り過ぎる。」
この大岡信氏のコメントが一番冷徹に私の作品の不備を指摘していたと受け止めている。私のアポロ十三号に因むメールアートは解決すべき課題のみを多々残した訳である。
この経験から、その後「石」を送る時は切手を貼る宛名の荷札の他に「地球の石 the stone on the earth」や「反戦 anti War」などとプリントした札を付け足すようになっていった。

詩と芸術の総合誌ぴえろた(1970.6)で羽永光利の「体制裏の芸術家〈3〉」でのコメントの前半部分である。
「もの」の意味を探る芸術家 「アポロ11号が月に着陸して、石を採取した頃、堀川紀夫は新潟県十日町市信濃川の河原で、こぶし大の石を、拾い集めた。彼の行為には、月に行って石を採る作業と地球上で石を拾う行為とはまったく同じ次元に他ならないという観点であり、アポロが地球に向って石を運んで帰る時間に合わせて、堀川紀夫は、石に、はり金を巻き荷札を付けて知人に発送し。その一つはニクソン大統領にも送付されたのである。」
その後、壮烈絵巻・日本芸術界大激戦(構成=赤瀬川原平松田哲夫 絵=南伸宏 1972.5)のイラストに描かれる。
特集=現代美術と彫刻の概念(1974.1)で写真図版が掲載。宇波彰氏の「シーニュとしてのレトリック 芸術のカタログ化の理論的前提(1974.4)」では「〈借用〉の例として堀川紀夫の「The Nakanomata River Plan」がある。これは石に荷札を付けるというネオロジーでもあるが、荷札という実際的価値のあるものを作品に借用して新しい表現形態にしているのである。この場合〈石〉が本来の場である河原から展覧会場へと〈借用〉されることによって、自然物という本来のあり方とは別の存在形態を持つことは、のちに述べる〈反用〉のレトリックと解釈することができる。(図版略)」
 なお、この「石を送るメールアート」はアポロ計画に連動、対応してきたため、継続し続けるということは考えられなかった。
The Nakanaomata River Plan -17-(アポロ17号に対応 1972,12,13)アポロ計画にちなんで石を送る行為の締めくくりとして彦坂尚嘉、水上旬、佐藤秀治、前山忠、そして自分宛に送る。
(その後、零円切手を制作したり、雪原に身を投げ出す「Snow Performance」などを開始。)
 しばらくして、兵庫県立近代美術館「環境としてのイメージ」展へ「石を送るメールアート」が招待される。そこにThe ShinanoRiver Plan‘85 1985,10 黒と灰色系の石2個を送る。
10年以上へて石を送ることを決意したこの時に初めて自分の「石を送るメールアート」をアートとして明確に意識し送付したように思っている。 
この後は1997年10月のアクリラート・vol.32号で彦坂尚嘉氏によるロングインタビューに取り上げられ、石を送るメールアート、新潟現代美術家集団GUNの活動、などが再評価される。
この冊子が富井玲子に伝わり、Tate Mpdernでの「Century City」展に招待されることになる。新作2点と旧作4点の計6点展示される。

その後、東京府美術館の時代展へ石を一個。The ShinanoRiver Plan 2005,09,11。

(この作品をそのまま東京都現代美術館へ本人が寄贈)
椹木野衣氏の著作「戦争と万博」(2005年)2月刊行の第6章で「石を送るメールアート」の写真が掲載される。そこで、再評価のことばをいただく。
2006 文化庁メディア芸術祭「日本のメディア芸術100選」アート部門•1960年代にノミネートされる。
「ART ANTI-ART NON-ART EXPERIMENTATIONS IN THE PUBLIC SPHERE IN POSTWAR JAPAN 1950-1970 」(Getty Research Institute 2007年3月〜6月)で富井氏寄贈の石の作品と精神生理学の作品、ドイツに送った東京ビエンナーレのカタログが展示される。

The ShinanoRiver Plan 2008,01,08(「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」展へ)
The ShinanoRiver Plan 2008,01,15(ソフトマシーン美術館の伏見修氏へ)
The ShinanoRiver Plan 2008,08,28
上原誠一郎の企画を受けダダカン展へオマージュとして送る)
On Location展(Sainsbury Centre for Visual Arts)にTate のアーカイブにある2点が展示される。(2008.9.23〜12.14)
The ShinanoRiver Plan 2009,04,01(トキ・アートスペース「新潟現代美術家集団GUNの軌跡」展気付 椹木野衣様へ)

 最後に、On Locationを含め、海外での3回の展示はすべて見に行ってきた。無論そのことを口実に観光もするわけだが、展示されること自体光栄で、関係各位に本当にお礼を申し上げたい。
これまで送付した石を記録と記憶を整理し数えてみたら100個を少し超えていた。この作品は新聞や雑誌にかなりの回数紹介され有名ではあるが、作品自体が売れたり、収入に結びついたことは一切ない。針金と荷札を使い、そして送料を一個120円から2000円以内払えば作品は出来る。私は霞を食べて生きてきた訳ではない。これまでは美術教師として生活を支えてきた。今は晴れて美術家である。これからは、この作品を含め、作品を売ることも試みてみたい。