Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

県内個展巡り・絵はがき作品

昨日は自家用車で前山さんと県内の現代美術系の個展巡りにでかけた。ドライブしつつ見て歩いた順番で作家と会場名、展覧会名、会場を記しておく。吉野榮子(游文社・柏崎)、舟見倹二(ギャラリー宮本・長岡)、伊藤歌夜子(ギャラリーmu-an・長岡)、佐藤ムツ子(エムスタジオ・新潟)、藤井芳則(絵屋・新潟)、信田俊郎VS関根哲男(新潟市美術館市民ギャラリー)、そしてNew Trends of Architecture in Europe and Asia-Pacific 2008-2010@Niigata, Japan(新潟市美術館企画展) 往復の行程320kmちょうど1日がかりである。県内にギャラリーや美術館が増え、展覧会は本当に盛んである。
最後に見た新潟市美術館の建築関係の企画展は新鮮で若い学生さんが沢山来ていた。しかし、壁面の展示物の文字が比較的小さく、私には読みにくかった。沢山見たので沢山の感想があるが、沢山すぎるので内面にしまっておく。
さて、ブログを始めて45日経過した。出かけていて書けない日もあった。が、書いた件数は45件以上ある。筋書きはその日の思いつきで過去、現在、未来を行き来し、小話をつないできているている訳だが、
とりあえず語りたい、書きたいものは、「GUNの軌跡」展と同じ1967年から1975年のことである。
1970年は1月に「石を送るメールアート」が読賣新聞全国版に掲載、GUNメール作品集発行、ダダ・カンからの反応、雪のイメージを変えるイベントの実施、それがアサヒグラフと芸術生活へ掲載、横浜子どもの国での野外展、十日町から高田への転勤、第10回東京ビエンナーレ、その巡回展(名古屋、京都、福岡)、第一次精神生理学研究所の終了、JAF展落選、ニルヴァーナ展、大阪万博、第二次精神生理学研究所の開始と分散化、知人、友人相手の各種のメールアートでの展開など。そして11月には三島事件。目まぐるしい一年だった。
この年の最後に絵はがきシリーズを開始。心の琴線に触れる、問題意識の対象、ものとの出会いなど言わばコンセプト写真によるハガキ作品であった。
大阪万博へは行って、見たかったのはアメリカ館の「月の石」。しかし、待ち時間が長過ぎて断念。他の人気のパビリオンも同じで建物を見ただけ。キューバとインドネシの二つに入ってインドカレーを食べたという記憶である。そんなことから、1970.12.31のNHK年末特集のテレビ画面で「月の石」を撮影し、絵はがき作品第一号となった。


本日のStamps-10,11 謝罪、お詫び作品ばかりで恐縮です。良い、明るい話題も今後取り上げるように努めます。

本日のおまけ。家から4kmくらいのところで昨日の朝見つけた、電話柱の上のカラスの巣。道路に沿った20本以上の柱の一本です。昨日の7時頃に撮影。