Art Site Horikawa-I

書くことを積み上げ、アート生成に向けての発想・構想力を鍛える。

The Shinano River Plan 2009-2

The Nakanomata River Plan 17(1972.12.13)
アポロ17号は1972年12月7日に発射。計画は順調に推移した。最後のアポロ計画であったので、私の 石を送るメールアート(The Nakanomata River Plan 1972)=(The Shinano River Plan)も一区切りを付けようとした。記録によると,この時に彦坂尚嘉、水上旬、佐藤秀治、関根哲男、前山忠、そして自分宛に送っている。このメンバーの中で彦坂尚嘉さんと接点があった訳ではない。彦坂さんのことは「デザイン批評1970年12月発行 季刊12号」での「李禹煥批判-<表現>の内的危機におけるファシズム」で知っていた。その当時,その冊子を購入して論文を読んだことは読んだが難解で理解は出来なかった。彦坂さんに石を送ったのは、李さんを批判する立派な論文を書く力で、私たち新潟勢とレベルが違いすぎて、尊敬の念を抱いていたからであった。その当時の彦坂さんの美術作品を見て感動したからではない。(その当時、彦坂さんの作品を見る機会はなかった。)


写真は撮影していた。メモ記録によると、この石は3.6Kgで、郵送小包の限界の4Kgに近く、大きく重かった。ピンクのカードは簡易書留で送ったことの証拠。この日はアポロの乗組員が盛んに月面探査、月の石を採取の真っ最中。

さて、彦坂さんに直接会って話しをするのは1997年になってからである。
そのことに付いて,詳しくは、http://www.holbein-works.co.jp/static/publicrelations/pdf/v32/vol32_04.pdf
http://d.hatena.ne.jp/niigata-art226/20090411/1239398356を参照してください。
今回の石は前回のほぼ半分の重さ。この「石を送るメールアート」の発送は、彦坂さん自身からの依頼による。彦坂さんの持論である「モノ派の外部」論を展開していくための参考作品にしていただくためといってよい。
今年で2個目の「石を送る行為:メールアート」The Shinano River Plan 2009-2 である。今回は反戦のタグは使用せず,新たに「非戦」のタグを作成し使用した。結わえる針金はステンレスを使い、PCで宛名を印刷した。作成の方法は変化したが、基本的な要素は40年前と同じである。しかし、同じ行為を単純に繰り返しているという意識ではない。一日一日の生それ自体に意味があるように、2009年6月26日発送の意味がある。(27日に一部訂正)

今は,これは私のアートであると自信を持って発送している。